不祥事の張本人たちは、判決を言い渡され、1人が上訴した以外、一応結審してケリがついた。こうした病巣が摘出されることになり、中国サッカーはファンの期待を裏切らないよう前進をとげてくれるものと思う。
新中国の建国以前、中国人はアジアの病人とさえ言われていたが、建国後の努力の甲斐があって、1980年の北京オリンピックでは、ゴールドメダル総数一位となる成果に輝いた。これによって、いわゆる「アジアの病人」という汚名は返上されたわけだ。この達成感を味わうことによって、中国のスポーツ界は次の大きな目標に向かって前進することが可能となった。
しかし、中国スポーツ主管部門の一部の人たちは中国スポーツ界のアンバランスを指摘し、特にサッカー、バスケットなどのボールゲームでは二流の地位にあると言えることも指摘している。北京オリンピック以後の総括大会で、国のトップから、スポーツ大国からスポーツ強国へと前進をとげるよう努力してもらいたい、という励ましを受け、中国スポーツ主管部門も次の目標を目指して動き出している。最近、海南島の三亜市で行われたボルボ・カップ洋上ヨットレースの寄港地としての会合で、スポーツ主管部門の責任者の1人は、オリンピック種目の中で中国が好成績をあげている種目ばかりでなく、ヨットレース、ツール・ド・フランスのような自転車競技などプロ種目へ進出する多角化、多様化の方向も打ち出した。このところ、中国では文化事業の大発展に力を入れているが、一国のソフトパワーの一部とも言えるスポーツ事業も、大発展の機運に際会しているとも言えなくはない。
競技スポーツは強い相手のあることだから、焦りを戒めなければならないが、北京オリンピック、広州アジア大会の成果を踏み台にして、一歩、一歩前進していけば、スポーツ強国になることも決して夢ではないと思う。