まず、一部の欧米諸国と比べ、日本は集団を重視する社会だ。ほとんどの日本人は大勢の中で個人が過度に新しい主張を唱え、異なった意見を表明することを嫌う。社会全体ほとんどが同性愛にどう向き合ったらいいか定まっていないのだ。ほとんどの日本に住む同性愛者は社会の受容範囲に限界があることを認識しており、集中攻撃を浴びるのではないかとおびえている。社会で異端視されないように、自分の性的嗜好を永遠の秘密にするしかない。
それに多くの人は「同性愛」という概念についてほとんど客観的に理解していない。しかもメディアが作り上げた差別や偏見が同性愛者のイメージとなり、日本人の同性愛に対する概念はいまだにゲイは「女性化」した男性であり、女性同性愛者は「男性化」した女性であるというレベルでとどまっており、同性愛者にとって受け入れがたいものになっている。しかし、実際はこのような人は同性愛者のほんの一部にすぎない。
また、日本には同性愛者の権利を主張する有力な勢力が足りないこともある。2010年にはほぼ4,000人の同性愛者が日本で史上初めて最大のデモを実施し、自身の権利を主張して海外の支持者から注目を集めたが、影響は一部にとどまった。この1,000万以上の人口を擁する都市で4,000人はあまりに少ないし、そして同性愛をカミングアウトする政治家があまりに少なく、同性愛者の権利を支持する政党がほとんどないためだ。
日本人すべてが同性愛や同性愛者をさげすんだ目で見ているわけではないが、社会にはまだまだ同性愛やゲイに対する不寛容が根強い。日本人の伝統概念にそぐわないとする勢力や団体が、彼らの主張する声を弱めている。日本の同性愛者がのびのびとカミングアウトできる日は、まだまだ遠いだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年3月1日