北京にある中国でもよく知られているビジネススクール・長江商学院の招請に応じて、日本通信業界のカリスマと呼ばれる千本倖生氏が、「モバイルブロードバンド革命と市場の創造」をテーマに講演を行った。講演会の主宰は中国網絡通信有限公司(CNC)創設者であり、通信業界で活躍中の韓穎氏で、長江商学院在学中のMBAや通信科学技術分野の関係者が参加した。
3度の通信革命をけん引した起業家
千本氏は1942年9月9日生まれで奈良県出身。京都大学工学部電子工学科を卒業した後、米国に留学しフロリダ大学大学院博士課程を修了(工学博士)、1966年に日本電信電話公社(現NTT)に入社した。電電公社時代には、デジタル通信方式や光ファイバー通信方式などの新技術や高度情報通信システム(INS)の研究開発に携り、近畿電気通信局の技術調査部長を務めている。
中曽根内閣の1983年に発足した臨時行政改革推進審議会では、電電公社を初めとする国有企業3公社の民営化の検討が進められた。しかし米国電信業界の民間企業MCIと独占的巨大企業AT&Tとの競争を知った千本氏は、互角のライバルがいなければ電電公社民営化の実現はかなり遠く、日本の通信業界を活発化させることはできないと考えるようになる。
様々な講演会でこうした考えを語っていた千本氏。そんな時に偶然、出会ったのが、京セラの設立者である稲盛和夫氏だ。そして1984年には稲盛氏と共同で日本初の民営通信企業、第二電電株式会社(現KDDI)を設立、通信業界に自由競争を導入した。これは日本通信史上、最初の革命である。
第二電電が業界でしっかりと根を下ろすと、将来の起業家を育成するために、1996年4月からビジネス教育でよく知られる慶應義塾大学経営大学院の教授に就任。そしてベンチャー企業経営論とマルチメディア産業論を教えたが、もちろん通信業界の動向に目を離すことはなかった。
90年代末の日本のインターネットは、料金が高いわりにはスピードが遅く、他の先進国に比べネット環境は非常に悪かった。いち早くブロードバンドを導入しなければ、日本は間違いなく国際社会から取り残されると心配した千本氏は、1999年に千本氏と同じような考えを抱いていたゴールドマン・サックスのエリック・ガン氏と、ISPに対してADSL回線を卸すという、当時としては画期的なビジネスモデルを導入したイー・アクセス株式会社を設立する。