清の雍正皇帝がダライラマに授けた金の印鑑
伝えられるところによると、現在これらの貴重なオリジナルの公文書の多くはチベット自治区档案館に収蔵されており、その中には次のものが含まれる。
清の順治14年(1657年)に順治皇帝が人を派遣して5世ダライラマを見舞った際に手渡した詔書。
清の雍正元年(1723年)に雍正皇帝が6世ダライラマを報奨した際の詔書と授けた金の印鑑。
乾隆皇帝が8世ダライラマに授けた玉の冊。
清の嘉慶14年(1809年)に嘉慶皇帝が9世ダライラマを報奨した際の詔書。 道光3年(1823年)に道光皇帝が10世ダライラマを報奨した際の詔書。
道光21年(1841年)に道光皇帝が第11世ダライラマを冊封した際の金の冊。
清の咸豊10年(1860年)に咸豊皇帝がチベット駐在大臣を派遣して座床式を主宰させるために第12世ダライラマの霊童に手渡した詔書。
清の光緒5年(1879年)に光緒皇帝がチベット駐在大臣を派遣して座床式を主宰させるために第13世ダライラマの霊童に手渡した詔書。
中華民国27年(1938年)に国民政府が呉忠信モンゴル・チベット委員会主任を特に派遣し、第14世ダライラマの転生の件を主宰させた際の命令。
乾隆皇帝が8世ダライラマに手渡した玉の冊
清王朝創立以後、清の朝廷はラマ僧をラサに派遣してダライラマが上京するよう招請した。5世ダライラマは順治9年(1652年)12月に北京に到着した。順治皇帝は何度も彼と会見するとともに彼のために招宴を催した。まもなく、さらに金の冊、金の印鑑を通じて、5世ダライラマを冊封し、「西天(インド)の大善自在仏が率いる天下釈教普通ワチラダラダライラマ」と尊称した。