チェリノブイリ原子力事故におけるヘリコプターの重要な役割
1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の4号機原子炉は試験運転に失敗後溶融を起こし、電力は急激に上がりグラファイトが激しく燃え上がり、隣接する3号機原子炉にも燃え広がる危険があった。
当時、グラファイトを十分に冷却する水は足りず、少量の放水は余計に火勢を増す危険性があった。当局はヘリコプターで直接露呈している原子炉芯にホウ素、鉛、白雲石、粘土の混合材を投下し消火を試みることを決定した。
キエフ軍区空軍、キエフ駐留部隊の指揮官Kusch上佐は、当時を思い出し、チェリノブイリには80台のヘリコプターと固定翼の飛行機が結集、空軍隊員の放射能からの安全に責任を負ったという。
ヘリコプターチームは主にMi-2を含む、Mi-6、Mi-8、Mi-24RとMi-26などミルヘリコプターで構成された。彼らは空中投下以外にも、連絡、救護、数千人の被災者への物資投下も行った。地上にいる作業者に協力し、火災と放射能の拡散防止も行った。
ポーランド製の多用途Mi-2のライト型ヘリコプターは、偵察機として測量に使用された。原子炉から一定範囲での放射能レベルを測定し、情報伝達と連絡を行った。放射能レベルが大きく改善されるまで、原子炉エリアに飛ぶことはできない。
総重量42.5トンのMi-6は12トンの積載能力がある。毎日、亀裂の入っている原子炉に砂利、鉛、ホウ素を投下する。ヘリコプターは地上の指揮官の命令で、適時原子炉までのルートをみつけ、正確に投下を行った。