帰国後も継続的に中日民間レベルの友好交流を推進
悠喜子は日本に帰ってからも中国での経験を忘れることなく、逆にいつもその一風変わった生活の一つ一つを思い出していた。彼女は中国で、日本の侵略者たちの中国人に対する極悪非道な行為をその目で目撃した。日本はすでに戦争に敗れたが、戦争が残した多くの問題は、戦後の長きに渡って未解決のまま、しかも日本国内で、戦争当時の本当の状況を知る人は、ごくわずかな状態だった。
そこで、悠喜子は仕事を辞め、様々な所へ行って資料を収集し、抗日戦争期間中の中国捕虜強制労働問題や、日本が中国に残した化学兵器問題、細菌戦問題、慰安婦問題を真剣に研究し始めた。数十年に渡って、彼女は日本の各都市を回り、日本人に歴史の真相を伝えるべく奔走を続けている。
また、悠喜子は仲間たちとともに「731部隊展覧実行委員会」を立ち上げ、731部隊の犯罪関連の展覧会を日本国内ですでに数十回開催している。この他、『日本の中国侵略と毒ガス武器』等の書籍を翻訳し、中国人の被害状況を日本人に伝えている。日本の右翼による妨害を受けることもあるが、それでも60万人の日本人が彼女たちの展覧会に足を運んだ。
今、悠喜子が注目しているのは、中国人労務者が蜂起を起こし殺害された「花岡事件」で、事件の中心人物である耿諄が日本で起こした損害賠償裁判に大きな支援を行ったり、自ら中国の耿諄氏を訪ねたりしている。
彼女は記者に対し、次のように語った。「日々、中国の学生達と接する中で自分も若返ったような気がします。私は中国に育てられました。中国の発展のために力を尽くすことが私の最大の喜びです。」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月7日