日本は「国民答礼団」を派遣
全体的に見ると、日本の災害に対する支援が一番活発だったのは、江蘇省・浙江省である。特に上海は、日本の経済や文化と最も密接な関係があるうえ、人口が多くて豊かな土地柄だからだろう。しかし、さんざん災害に苦しめられている湖南省のような内陸部も、救援活動に参加している。湖南だけでなく遠く離れた西南部の成都でも、新聞は号外を出して、日本の大地震の惨状を驚きをもって伝え、市民に寄付を訴えた。
中国の官民挙げての支援活動を日本のメディアも報じている。『大阪朝日新聞』は、9月13日の社説で、良き隣国である中国民衆の思いやりに感謝し、「中国人がこれほど熱心に日本人の災難を助けてくれるとは、夢にも思わなかった。今回の中国人の機敏な行動に驚嘆し、中国人の高誼に感謝する」と書いた。
中国人民の支援に謝意を表すために派遣された「国民答礼団」は、10月20日に次のように謝意を表している。「このたびの貴国民のわが国震災に対する深い同情と、貴会の医療隊派遣協力に、わが国国民は非常に感動させられました。今回、上海訪問に際し、感謝の念を申し述べるとともに、今後の中日両国民の友好親善関係が一層深まることを心から希望します」東京の復興への取り組みが一段落した1930年3月、日本政府は、重光葵代理公使を通じて口上書を国民政府に渡し、震災当時に中国側から受けた支援に対し感謝の意を表した。(訳・宝賀紀子)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月8日