この1年、菅首相は「消防士」の役割を演じ、常に「消火」にあたってきた。鳩山政権時代に冷え込んだ日米関係は徐々に回復し、中日間は釣魚島(日本名・尖閣諸島)沖の船舶衝突事件で再び波紋が起き、菅内閣は強硬な外交措置を取ってきたが、好転するどころか日本をこれまでになく危うい状況に陥れた。中日関係はまだ修復していないのに、ロシアとも領土問題が勃発し、北方の隣国の凄まじい剣幕に菅内閣は手の施しようがなく、すぐにしり込みした。多くの閣僚が日本の政治の風向きを嗅ぎわけ、次々と彼から去っていき、菅氏は孤立無援となった。日本の大地震は菅氏に再起の機会を与えたが、それをうまくつかむことができず、災害復興支援の過程で人々から不満の声があがった。さらには原発事故への不適切な対応で世界に影響を与える放射能問題を引き起こすことになった。菅内閣に最大の危機が迫ったのは1カ月前。内閣不信任案決議で、菅氏はちょっとした計略を使い、「メドがつけば辞任する」という言葉で何とか危機を乗り切った。
菅内閣はずっと行き詰まっているという印象があるが、つまずきながらも前へ進み、依然として倒れずに立っている。菅氏は首相就任からすでに満1年経っており、今辞任したとしても、長年の政界の記録を破り、来年までねばれば、毎年首相が交代する日本の政治の常態を変えることになる。
菅氏は確かに記録を打ち立てる政治家だ。日本の政治家の権力に対する執着が想像を絶する。権力さえ確保できるなら、どんな手段でも使うのは当たり前だ。
長年の政治混乱、特に大地震と原発事故を経験し、社会の安定、震災復興が民意の主流となっている。大多数の国民が菅首相に不満はあるが、今この大変な時期に政治を混乱させるような人物はそれ以上に人心をつかむことはできない。菅氏が「居座り」続けるのも、この点を見抜いているからだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月7日