こうした情勢の下、トルーマンが当時、配備が可能でかつ戦争の形勢を最も大きく変えることのできる兵器を使用しなかったとすれば、それは実に不可思議なことである。もし米国の公民が戦後、自分たちの大統領は自らの良心から原爆投下を拒絶し、そのために数十万の国民の軍隊が窮鼠猫をかむ敵と組み打ちしたことを知ったとすれば、巻き起こるその大衆の憤りはいかばかりか、まったく想像できない。
◇軍国主義は究極の責任を負うべし
しかし、同様に軽視してはならないのは、日本への原爆投下に付帯する1つの結果として、こうした恐ろしい兵器が長期にわたる冷戦時代に実戦に投入されることはなかった。各方面がその怖さを深く知っていたからだ。長崎を破壊する命を下した後のある日、トルーマンはドアを閉めた会議の席で閣僚たちに、「気がつけば、また10万人を殺すことになり、わたしは恐ろしくなる」と話し、さらに「わたしはすべての子どもを殺すという考えは決して好きではない」とも語っている。
ミスカンブル氏は本書のなかで、究極の責任を以下のせいにしている。「ねじ曲げられた日本の新たな武士階層、彼らは熱狂的なかつ忠誠を尽くす精神で武装した軍隊を率いて、全民族をある種の自殺行為に巻き込もうとした。彼らがこの戦争を長引かせた愚鈍さと背信を放棄しようとしていることは、絶対に軽視されてはならない」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年8月1日