パトロール中のソウルの警察官。
では経済力が強く、科学技術が発達し、人材の潤沢な先進国のみに原子力の開発・理由を認めるという考えはどうか。これも答えはノーだ。快適な生活の追求は人類の本能だ。先進国の創り上げた高級車と豪邸に代表される高度消費はすでに快適な生活の象徴となっている。しかもこれらはみな大量のエネルギー消費によって支えられているのだ。先進国の人口1人当りエネルギー消費量は途上国の35倍、米国人1人が消費するエネルギーはインド人500人分に相当するとの統計がある。こうした格差を合理的、道徳的と考えることはできない。原子力を平和的に利用する権利を途上国から奪うことには、法的根拠も道徳的基礎も実現性もない。
■核安全保障問題の解決には個別対策と抜本的対策の双方が不可欠
原子力という選択を排除できず、各国が原子力を平和的に利用する権利も否定できず、かつ原発事故の影響が国境内にとどまらない以上、道は1つしかない。より安全かつ効率的に人類に資す原子力の実現だ。これには核安全保障分野の国際協力の強化、グリーバル・ガバナンスの強化が必要だ。核安全保障サミットの現実的意義はここにある。
国際的な核安全保障体制の役割を真に発揮するには、もう1つ解決しなければならない問題がある。別の目的を加えたり、国家間の争いをサミットに持ち込んではならないということだ。ダブル・スタンダードはなおさらに許されない。核安全保障サミットを功利的な外交政策の道具にすれば、国際的な核安全保障体制は中立性と信頼性を失い、試練に対処するために国際社会の力を結集することができなくなる。