<政治重視、経済優先から民生向上へ>
1949年の中華人民共和国建国以来今日まで中国の歩んだ道のりは、改革開放政策が採択された1978年を境に、それ以前の「政治重視」から「経済優先」の時代に入ったといえるでしょう。経済優先の時代は、鄧小平氏の南巡講和(1992年)を境に新たな展開を遂げます。例えば、中国は発展途上国最大の投資受入国ですが、外資系企業の対中進出が加速するのは1992年以降です(2012年5月時点:43万9300余社)。
では、建国以来の中国の道のりから見て、この10年間はどんな時代であったと位置づけられるのでしょうか。一言でいえば、経済優先から民生向上への時代の幕を開けた10年間といってよいでしょう。
この10年間、党と政府が強調した国つくりの要諦は、「科学発展観に基づく社会主義和諧社会の建設」です。「和諧社会」の建設とは、各階層間で調和の取れた社会を目指すということです。ここで強調されているのは「社会」です。鄧小平氏は南巡講話で「社会主義市場経済」を打ち出し「経済」を強調しています。本来、対立する概念と思われていた「社会主義」と「市場経済」を中国の実情にあった形で組み合わせて実践したことが、現在に至るまで、中国の飛躍的経済成長を可能とし、2度の危機に見舞われた世界経済の安定につながったとする識者は少なくありません。
「和諧社会」の核心は「以人為本」(人民本位)にあるとされています。即ち、民生向上が強調されているといってよいでしょう。その成果の一端として、医療、福祉、教育、雇用など社会保障面での充実化、2600余年続いた農業税の全面廃止(2006年)、2007年に始まる義務教育無料化、都市化の推進などが指摘できます。階層間格差の是正に大きな一歩が踏み出されたといってよいでしょう。
「以人為本」の「人」とは、中国13億人の全てが対象ということになります。「民生向上」とは、鄧小平氏が提唱した「先富論」の第二段階となる「共同富裕」を代弁しているといえるでしょう。2002年、中国が「人材強国」戦略を提起し科学教育に注力しているのも人口の有効活用による民生の向上を期待してのことといっても過言ではないでしょう。
<国際化、都市化、文化、創新化>