遠くなりつつある日本の旧暦行事
日本にも、元宵節にあたる小正月を祝う習慣が一部の地方に残っている。こうした地方では、木の枝に餅や団子を刺して作った「餅花」を飾り、五穀豊穣を祈る。養蚕が盛んな地方では、蚕がよく繭を作るように願いを込めて、木の枝に繭を形どった団子をつけた「繭玉」が飾られる。
左権の火盤を想起させる「どんと焼き」という習慣もある。「どんと焼き」は「どんど焼き」、「とんど焼き」、または「左義長」などと呼ばれるもので、日本各地に残っている。1月14日の夜または15日の朝に、稲を刈り取った後の田などに長い竹を組んで、そこにその年の正月飾りなどを持ち寄って焼く習慣で、悪霊払いや厄除け、健康祈願などの意味がある。ただし、「餅花」(「繭玉」)も「どんと焼き」も、現在は新暦で行われることも多くなっている。
毎年旧正月になると、「日本は旧正月を祝うのか」とよく聞かれる。「日本では元旦を祝う。昔は旧暦で正月を祝っていたけれど、明治5年(1872年)の改暦以降は新暦で新年を祝うようになった」と説明してきたが、考えてみれば奇妙なことだ。中国で旧暦を身近に感じて生活していると旧暦がいかに実際の季節の変化に合っているかを実感するが、日本人はその旧暦を捨て、旧暦に合わせて営まれてきた伝統行事だけをそっくりそのまま新暦にあてはめた。実に器用というか、強引なことをしたものである。正月だけではない。端午節しかり、七夕もまたしかりである。
実際には、日本でも1960年頃までは旧正月を祝うところも多く、新暦と旧暦とで二度正月を祝っていたという。そういえば、私が小さい頃はまだ周囲に明治生まれのお年寄りがいて、みな数え年で年齢を数えていたものだ。それも今ではほとんど聞かれなくなり、旧暦は日本人の生活から遠いものになってしまった。