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西部大開発 計画から実現まで
発信時間: 2009-12-02 | チャイナネット

寧吉喆氏は50歳を少し過ぎているが、第一印象はエネルギッシュそのもので、冗談めかして「仕事中毒とよく言われる」と話していた。1999年から2003年の間、国家計画部門のスタッフ、のちに西部開発指導小組弁公室総合計画チーム長として、中国西部地域に関わってきた。今年、西部大開発戦略のスタートから10年を迎えるのにあたり、寧氏はチャイナネットによる単独インタビューに応じ、西部地域や西部大開発について語った。その言葉の端々から今なお抱き続ける熱い想いが感じられた。

西部:人々の心を突き動かす地域

西部大開発 計画から実現まで

チャイナネットの単独インタビューに応える寧吉喆氏

————西部大開発戦略計画に関わり始めたのはいつですか。この任務を引き受けた当時、どのような心境でしたか。

10年前、私は国家発展計画委員会(国家発展改革委員会の前身)の発展計画司で副司長を務め、総合計画および地域計画業務を担当していました。1999年6月、江沢民主席が西部大開発を重点プロジェクトに位置づけ推進していくことを提起しました。同年10月、青海省で当時国家発展計画委員会主任だった曽培炎氏の主宰により、西部地域第10次5カ年計画事業座談会が開催されました。西部開発計画に携わるようになったのはその時からです。

西部はこれまでずっと人々の心を突き動かしてきました。そこには奥深い歴史と文化があります。西部にはまた豊富な自然資源があり、その合理的な開発と利用は国家全体にとって非常に大きな貢献になります。これまで幾度も開発を行ってきました。例えば、抗日戦争期、戦いを支えたのは西部です。新中国成立後、国の第1次5カ年計画と第2次5カ年計画のいずれにおいても、内陸部の発展はとても重視されました。1999年までの20年間、改革開放政策により中国の総合的な実力が非常に大きく伸び、西部地域の発展の基礎も大きく変化したため、西部大開発の時機が熟し、条件が整いました。個人として、このようなチャンスを得て、壮大なプロジェクトに関わることができましたが、当時のことを今思い起こしても興奮してしまいます。私たちの世代では、多くの人にとって仕事が人生の重要な位置を占めています。西部を開発し、東部沿海地域の経済発展に追いつくことができれば、その時、中国全体の様相も変わることになるでしょう。これらを考えると、感情が高ぶらずにはいられないのです。

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