▽1962年
人民銀が第3期の人民元を発行した。
▽1960-70年代
60年代と70年代を全体としてみると、中国経済にはインフレなどの状況が出現したものの、人民元の対米ドルレートは相対的な安定を一貫して維持した。これは主に国が当時、高度に計画された経済体制を取っていたためで、ほとんどすべての物価が厳しく計画されコントロールされ、人民元レートも同じように計画されコントロールされていたためだ。
▽1971年12月18日
ブレトン・ウッズ体制に問題が生じたことから、米国は米ドルと金との固定された交換比率をやめ、米ドルの金に対する公定価格が7.89%値下がりしたと発表した。人民元レートもこれに伴って1ドル=2.2673元に引き上げられた。
▽1972年-1979年
ブレトン・ウッズ体制が徹底的に崩壊し、西側諸国は変動相場制を実施するようになった。中国はこの時期レートを頻繁に調整し、レート確定に際しては、通貨の加重平均に着目する「通貨バスケット方式」を採用した。
この時期の人民元レート政策の直接の目標は、引き続き人民元の基本的な安定を維持することにあり、米ドルの危機がたびたび発生し、レートが継続的に下落するという状況を受けて、人民元レートも変動を繰り返しつつ、徐々に上昇するという局面をみせた。対ドルレートは72年に2.24元となり、73年は2.005元、77年は1.755元となった。