なが年、合弁で会社そのものはどんどん大きくなっているが、知的財産権、ブランド・パワーというものはゼロである。数万点もある部品パーツ、エンジン、変速機のほとんどはメイド・イン・チャイナではないのだ。
乗用車づくりに打ち込む人たちにとって、国産のクルマをつくり、ブランド・パワーのあるクルマを開発することは、なが年の夢であった。世界市場で、国産のクルマを販売し、消費者に乗ってもらうこと、自分たちの力で完成車を作ることで、コアとなる技術を自分のものにすることを「北汽」の人たちは考えつづけてきた。
この夢を実現するために、「北汽」は研究開発のプラットホーム、部品パーツ開発のプラットホーム、アフターサービスやディーリング・プラットホームなどをまとめた北汽研究総院を設立した。そして数多くの人材を集めて研究開発に着手している。また北京、長沙、広州、重慶に工場をつくってすでに二車種の国産車の開発、製造をも始めることになっている。