2009年、張極さんは世界最先端技術である「活動定位装置を持った心臓弁膜移植システム」を携え帰国し、30分のプレゼンを行った。3時間後、中国国内企業家が1000万の投資を決めた。現地政府が強く支持し、関連部門の全面的なバックアップを得た。彼にとって最も効率的な3分間だった。
もちろん、帰国は決して平坦な道ではない。チャンスとリスクはコインの裏表だ。中国構内の医療器械の産学研究に実を投じた張極さんは、海外の医師ライセンスを得るのが難しくなった。これは安定した収入の道を捨てたということを意味する。
中国での張極さんの月給は、海外で医師をして得られる5日分の報酬でしかない。彼の友人は「バカだな」、「意味が分からない」と言う。しかし張さんはそう思っていない。「私は安定した収入を捨てた。しかし帰国して起業することで、理想を実現するための大チャンスを得たと考えている」。自分の新技術が臨床市場に投入された際の市場価値を高く見積もる張極さんは、「今後の収益は計り知れないものになる」と考えている。
2年前、呉桂徳さんはベルリンのフンボルト大学で法学の修士課程を学んだ。修了後は引き続き同校の博士課程に進学した。「知的所有権保護」が専門である。博士課程修了後は帰国する予定だ。それは早くから決めていたことだ。なぜならそれが大勢の流れだからだ。