改革開放40年 庶民の飲食消費が474倍に

改革開放40年 庶民の飲食消費が474倍に。 昔は高かったマントウは今はごく普通の主食になり、洋食ファストフードは「贅沢な消費」から「日常の消費」になり、多くの中国料理企業が海外に進出し、中国の飲食市場の規模は700倍に増加した…

タグ:改革開放 飲食消費

発信時間:2018-11-25 09:00:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

   昔は高かったマントウは今はごく普通の主食になり、洋食ファストフードは「贅沢な消費」から「日常の消費」になり、多くの中国料理企業が海外に進出し、中国の飲食市場の規模は700倍に増加した。改革開放から40年で、食卓の変化は庶民の生活のあらゆる面に浸透し、庶民の生活レベルの向上、中国経済の急速な変化、中国の総合国力の向上を表している。

 

食卓・思い出

 

 東城区朝内頭条社区に住む75歳の孟憲起さんは物質が乏しい時代に生まれ、食卓の変化について、器半分の麺とせいろう1つのマントウのことを語った。

 

麺が足りず、酢でカサ増し

 

 1979年、孟憲起さんは北京師範大学の大学院生だった。ある日の午前、同級生と買い物に出かけ、郵便物を発送し、用事を終えたのは学校の食事提供時間を過ぎていたため外食することにした。2人は探し回って西四に刀削麺の店を見つけたが、2人で250グラム分の食糧配給切符しか持っていなかったため、器半分の麺を2人で分けるしかなかった。1人125グラムしかなく、足りないと思っているとテーブルに酢が置いてあった。酢は無料であるため、器の半分ほどの大量の酢を入れたが、本当に酸っぱかったという。孟憲起さんは「西四を通ると今でも当時の酸っぱさを思い出す」と話す。

 

せいろう1つのマントウを家族で譲り合う

 

 1985年、当時は食糧配給切符で月ごとに食糧を購入していた。孟憲起さんの家の切符は55キロ分で、6年生と3年生の食べ盛りの息子がいたため、毎月食糧は足りず、月末になると困り果て、親戚や友人に借りるしかなかった。

 

 孟憲起さんは当時を振り返り、55キロのうち小麦粉と白米は20%ほどで、残りはトウモロコシ粉に使っていたと話す。料理を作るとき、妻はマントウと窝頭をせいろう1つずつ蒸していた。せいろう1つのマントウを父子3人で分け、自分は1つも食べなかった。孟憲起さんが自分のマントウを妻にあげると、子供たちも真似をして母親にあげた。しかし母親はいつも、「お父さんは胃の調子が良くないから雑穀は食べない。あなたたちは成長期だから栄養を取らなければいけない。お母さんは胃が丈夫で健康だから、雑穀を多く食べても大丈夫」と言って返し、互いに譲り合った。当時を振り返ると今でも辛い気持ちになるという。


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