食卓・変化
空腹を満たすだけでなく、健康的に良いものを食す
経済成長に伴い、食糧と副食物が豊富になり、食糧配給切符で街中や職場の食堂でマントウや大餅が買えるようになり、のちに食糧配給切符は廃止され、各種の麺食が市場に出回った。以前は譲り合っていたマントウがごく普通の主食になり、雑穀を使った食品の価格は上がった。このような変化から、数十年で庶民の物質生活は豊かになり、空腹を満たすだけでなく、健康的に良いものを食すようになったことがわかる。
主食だけでなく、野菜や水産物も豊富になった。40年前は「ある野菜を食べる」という風で、白菜、大根、じゃがいもの3つが多く食べられた。40年後の現在、野菜の種類は名前がわからないほど増え、食べたいものが食べられるようになった。40年で耕地面積が6割減少したが、主要農産品の生産量は数十倍に増加した。農産品が豊富になったと同時に、北京の農産品の種類も多様化、ハイエンド化し、特殊野菜や季節外れの野菜の栽培が進み、首都の主食供給、「買い物かご」を豊かにし、満足感と幸福感を与えている。
食卓・輸入
洋食店が新たな味と変化をもたらす
1987年11月12日、ケンタッキーフライドチキンの中国1号店が前門西大街正陽市場にオープンした。中国初の外資系飲食店で、オープン初日に多く人が詰めかけ、入り口から前門大街まで行列ができた。元店員は、「ケンタッキーフライドチキンのフライドチキンに興味を持ち、鍋を持ってくる人も多かった。鶏と聞いて1羽で買うと思い、ケンタッキーを2羽くださいと注文する人もいた」と振り返る。
当時、プレーン味のフライドチキンの価格は2.5元、セットは7.8元だったが、1987年の中国の普通幹部の月収は100元ほどだった。そのため、当時はケンタッキーフライドチキンは「高級消費」で、一般家庭は子供にセットを買い、親たちは子供が食べ終わった後の骨を吸っていた。ケンタッキーフライドチキンで結婚式を挙げるカップルもいた。当時の1日の最高売上高は16万元で、同店の世界記録を更新した。
ケンタッキーフライドチキンに続き、1990年にマクドナルドが深センにオープン。その後、ピザハット、スターバックスコーヒー、吉野家などが中国市場に進出した。これらの国際洋食ブランドは飲食市場を豊かにしただけでなく、中国の消費者に多様な飲食文化をもたらし、先進的な管理モデルは国内の飲食企業の参考にもなった。