開始当初は順調ではなかった。アポロ1号の任務に向けたテストでは船内で出火し、宇宙飛行士3人全員が犠牲になった。ソ連も実験を急いだせいで、宇宙船が行方不明になり、宇宙飛行士のコマロフが犠牲になるといった事故が発生した。
この人類の月上陸競争は70年代に正式に幕を下ろし、米国が最後の勝利を手にした。それから現在まで、人類が月を訪れることはなかった。
これは人類が信号をシャットダウンしようとしていることを意味しない。むしろ多くの信号が世界各地から発せされた。熱狂していた人類は徐々に理性を取り戻した。月はもはや米ソが駆け引きを展開する戦場ではなくなり、欧州、日本、中国、インドなどの国も「月クラブ」に加わっている。月探査機が宇宙飛行士に代わり、新たな試料採取者になった。各国が探査技術を交換し、共に月探査の大きな一歩を踏み出した。
例えば初めて月の裏側の着陸に成功した月探査機「嫦娥4号」の着陸機の中性子・放射線量探査装置はドイツ製で、月面ローバーの中性原子探査装置はスウェーデン製だ。
NASAが発表した最新の「アルテミス計画」によると、2024年までに米国の宇宙飛行士(男女1人ずつ)を月に送り込む予定だ。科学者と技術者は月面を近距離で観察するチャンスを手にする。今回の月に戻る計画は、宇宙飛行士を火星に送り込むための準備になる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2019年7月26日