その意味で、日本の「駅弁」はその意味で珍しい財といえますね。これは時代的タイミングが絡んでいると思います。「駅弁」がまだ「駅弁」という文化ではなく、単にご当地の「お弁当」だったころは、メディアの発展途上中でまだそれらが全国的な話題に一気になることもなく、流通もいまほどに発達していなかったために、わざわざある特定地域の「お弁当」を、別地域で消費しようというところでは高コスト過ぎて、ビジネスチャンスとなりえなかった限定条件などがあったのでしょう。そして、こうしたビジネスとしてのコスト障壁がなくなってきた今でも「地域限定的」であるのは、現在では、却って味や品質というよりも、その「限定性」に市場の渇望感を意図的に作り出し、高付加価値にしているというマーケティング的要素から、いまの時代でも「地域限定的」となっています。
つまり、「駅弁」は初期の頃は、全国展開が主に流通として高コストであったため「地域限定的」にならざるを得ないものであったのであり、現在ではマーケティング的に故意に「地域限定的」になっているものだといえます。経済発展の過程において、たまたま発生した「駅弁」というブランドといえますね。
もし、いま2010年に、日本のある地域で何かしらの「弁当」ができたら、それは瞬く間に日本全国に模倣をうむので、すぐさま「面」になってしまいます。「駅弁」というは、たまたま「点で結ばれたネットワーク」としてのブランディングで、歴史的背景をもとにした、「制約」が功を奏した事例なんですね。
この2つの観点から「駅弁」をとらえますと、1つめは、「お弁当」という特殊な財であること、2つめは、マーケティング的ブランディングです。