さて、話をもどしまして、「人間の欲求」がバブルをつくっていることになりますと、日本のバブル、中国のバブル、アメリカのバブルなどなどは、それぞれの国の国民性は大きく反映されることになりますね。今のグローバル化した金融システム・財務投資活動では、何らかの国の制限がない限り、他国の国民性(金融の流動化)に影響をうけるということは往々にしてあるでしょうが、それでもやはり、不動産や流動性が低い資産など、かなり「足元に近い」資産がありますから、バブルについて各国の「カラー」はでるんじゃないかなと僕は考えるわけです。
その意味で、僕が中国で「感じる」のは、思ったよりも実態経済よりも投機熱がいきすぎて過熱してることは無いという「雰囲気」です。いや、もちろん、経済指標や精緻なデータという客観性のある主張ではないことは大前提でありまして、あくまでも「雰囲気」ですが、下記で分析してみるということにチャレンジしてみましょう。
一般的に日本人の目には、中国人のみなさんの「投機熱」、いわゆる「商魂たくましさ」が際立って見えるとよくききます。確かに、そういった、一対一の交渉の部分での個人主義的商魂逞しさを感じるところは僕もよくあります。そして、商魂逞しければ、盲目的な投機に走りがちなように思われます。でもある意味それが、経営学では機会主義的行動(Opportunistic Behavior)と呼ばれるもの、いわゆる、「騙されること」、への防御力となっている、経験をつんでいく訓練になっているような気がするんですね。商魂たくましい人同士が構成する社会ですから、その機会主義的行動への防御力も高いということがあるのではないかという仮定になります。
一方で、日本人はよく騙されやすいと表現されますが、これは、中国のケースと逆ということもできますね。価値観を共有している相手であって、同じ「村」を構成している社会メンバーだから騙さないし、騙されることもないというお互いの暗黙の前提で一対一の交渉に臨みます。だから、不意に「騙される」と弱いわけです。それでは、別の国、アメリカはどうだったのかを考えると、そもそも、多民族・多宗教・多言語国家であって、「暗黙の信用」が構成しづらい状況、すなわち機会主義的行動が多かったといえます。そしてそこに、近代経済という「契約ベース」の客観性がのっかったので、表面上は機会主義的行動が減少したようにみえても、それぞれの個人が人間的感覚での機会主義的行動への防衛力を失ったのではないかと思うわけです(だから、バブルを何度も経験した)。