日本人は、もともと「信用してしまう傾向」にあり投機という盲目的な「何か」を信じて、バブルを迎えた。アメリカ人は、「機会主義的行動への防衛力が高かった傾向」にあったものの、明確なデジタルともいえる契約社会によって、そのアメリカ人が本来持つアナログな「機会主義的行動への防衛力」が削がれてしまったので、社会全体として「計算された盲目」へとむかってしまった。そして、中国人は、「機会主義的行動への防衛力が高かった傾向」がまだアナログな感覚として残されているように僕は感じるわけです。だからそれぞれの個人がバブルにむかうような投機的行動に対して「危険を察知する能力」があるような感じでしょうか。つまるところ、もし、中国がより制度化されてより契約が明確化されていくと、バブル経済の「罠」を呼びこむことになるのではないかなぁと僕は想定しています。
そのように考えると、僕は、まだ中国というのは、国全体として、バブルになりづらい状況なのではないかと、ひとつの要因として「感じる」わけです(とはいいながら、経済指標などをみると、バブルなのでは・・・と思ってしまうことも事実です)。
今回は、機会主義的行動への適応力を、その経験度からバブルについて考察してみました。
商魂逞しさがむしろバブルを避ける、という逆説的な見方になりますね。
マクロ経済学からちょっと離れて、こうしたミクロな視点から考察してみるのも、「ひとつの見方」として面白くはありませんか??
バブルの要因を少しずつ解き明かして、すべてを複合的にとらえたときに、本当に社会科学がバブルをコントロールできるようになる日がいつかくるかもしれませんよ!
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年11月2日