悪い部分(社会への弊害)だけをみれば、マスコミがある種の「色眼鏡」をつかって情報操作できるというデメリットがあったわけですが、この高速クチコミのソーシャルメディアは、情報操作はされないものの、より「漠然」としてしまったことがデメリットとなってしまいました。このソーシャルメディアから出てきてしまう社会への被害というのは、まだ歴史が浅く、「超巨大なほどには」観測されていませんが、やはり「ポピュリズム」については、非常に強いものとなっていくと思います。
一方で、ソーシャルメディアはデジタルなクチコミですから、ある人から別の人への「ネタ」の複製が容易です、ですからその「ネタ」がどんどんと溜まっていくような状況であると思います。このかたちになると、伝言ゲームのような、人から人へと伝わるごとに発生する情報劣化もありませんから、最初に流れた情報を複製すること、そして最初の情報に対する評論をすることもできるようになり、次第に情報がアップデートされていくわけですね。つまり、一次情報が劣化どころか進化していくわけです。こうなると、所謂「集合知」というものが生成される状態になって、単なる情報を媒介するということだけにとどまらず、マスコミやクチコミよりも遥かに精度の高い「情報のソース(源)」となっていくと思います。
ソーシャルメディアの「集合知」という良い側面と、「ポピュリズム」という悪い側面がいずれにせよ発展していく中で、国民と国家としてはマスコミという要素だけではなく、このソーシャルメディアというものといかに向き合っていくかというのはとても重要な概念ですね。
それでは、「集合知」と「ポピュリズム」という指標をもとに、中国と日本を考えてみると、ここに僕は2国の国民性の差異がでるなぁと感じるように成りました。
ソーシャルメディア上において、まず最初に「何か情報が発信された」「何かイベントが起った」「何か技術的なトラブルが発生していて解決したい」等々というようなテーマのスタート地点(スタートは簡単な、何の変哲もない つぶやき から始まることもあります)があったときに、日本でも中国でもそのオリジナルとそれに追随する一連の主張、アイディアや意見に対して数々の賛否両論がでてきます。曖昧なことなのでイメージがみなさんに伝わるか不安でもありますが、何かが起こって、何かの反応があるような状況です。それこそ、大地震が発生した、といったものから、東京の大手町のあるハンバーガー屋で通常より80%OFFのキャンペーンをやる、英語の学習方法について知りたい、などその何かのスタート地点の話題は様々であって、それに対して多くの参画者が何かを主張しているわけです。