第36回 中国人留学生の戸惑い②「友人」と「他人」の間?

japanese.china.org.cn  |  2009-02-16

第36回 中国人留学生の戸惑い②「友人」と「他人」の間?。

タグ:中国人留学生の戸惑い 「友人」と「他人」の間? ,日本人と中国人の人間関係の違い 中日两国,井出敬二

発信時間:2009-02-16 09:48:20 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

2.「社会」をどう構成するか

 

マンションというのは、運営をしていく上で、総会が年一回開催され、様々な問題を討議し、解決していく必要があります。私もマンションに住んでいますが、共通の費用を出し合っており、そのお金の管理、予算の決定について年一回の総会で話し合います。また、最近では私の住んでいるマンションでは、防犯用の監視カメラを設置するか否かという問題を討議し、結局は設置することを決めましたが、どの部分にカメラを設置して、合計いくらの予算を支出するか、カメラ業者をどう選定するか、等で色々な議論がありました。その議論をうまく収斂させ、意見の一致をみるためには1回の会議では不十分だったので、何回も会議をし、決着するまで数年かかりました。今後はマンションの建物が老朽化すると、立て替えという大変やっかいな問題に直面します。この問題に対処するためには、マンションの住民が皆一致して対処する必要があります。このようにマンションも一つの小さな「社会」を構成しています。そのような社会の中では、皆が親しい友人・知人になれるわけではありませんが、全く知らない赤の他人というわけにもいかないのです。そこで、日本人は最低、あいさつぐらいはしよう、という考えになっているのだと思います。

 

「社会」という単語、そして実体そのものが、昔は日本にも中国にもなかったかもしれません。日本語でも中国語でも「社会」という単語は一緒ですが、これは明治維新後に、英語の「society」の訳語として日本で作られた「和製漢語」です。この訳語が作られた経緯に関連して、水田洋氏(日本の著名な社会学者)は以下の通り興味深い指摘をしています。

 

「明治の初年にJ.S.ミルの『自由について』を翻訳した中村正直が、societyを政府とか仲間連中とかと誤訳したのは、社会ということばがなかったためにはちがいないが、それよりもこのことばによって表現されるべき実体がなかったからであった。」(アダム・スミス『道徳感情論』岩波文庫の解説から)

 

中国社会における人間関係に関連して、孫文は中国人(中国社会)を「ばらまかれた砂」という表現でたとえたことは大変有名で、日本でもよく知られています。

 

「外国の傍観者は、中国人をばらまかれた砂だという。その理由はどこにあるのか。中国の一般人民には、家族主義と宗族主義があるだけで、国族主義がないからであります。」(「三民主義」第一講、1924年1月27日、日本語訳『孫文選集』第一巻、社会思想社)

 

中国の民衆にまとまりが無いということを「ばらばらな砂」にたとえるのは、梁啓超がはやくも1901年にそう言っているそうです(「十種の徳性の相反相成の義」『清議報』1901年6月16日)また毛沢東も「人民はばらばらで『ばらばらな砂粒』、なさけないたとえだ」と指摘しています。(『時事新報』の附録「学灯」に掲載した文章、1920年10月10日)(竹内実編訳『毛沢東初期詞文集 中国はどこへ行くのか』岩波現代文庫)

 

以上のように、中国人をばらばらな砂にたとえるのは、当時かなり広まっていた表現だったようです。

 

また林語堂は、中国人には社会性が欠如していると述べています。

「中国人は個人主義の民族であると言えよう。中国人の関心は常に自分の家庭にのみ向けられており、社会には向いていないのである。この家族にのみ忠誠を尽くす心理は即ち拡大した利己心である。中国人の思想に『社会』という言葉の内容に該当する観念が存在しなかったのも奇とするには足りないのである。この『社会』という言葉に最も近い中国語を強いて探せば、『国家』ということになるだろうか。」(「吾国与吾民」1935年(日本語訳「我が中国論抄」鋤柄治郎訳、黄河))

 

(「社会」と「国家」の関係についても、機会があればまた論じたいと思いますが、ここでは「社会」と「国家」とは勿論異なるものであるということを指摘しておきます。)

 

孫文や林語堂が上記のような発言をしたのは70年以上前であり、当時とは現在とでは事情は異なりますし、また中国人が状況によって非常に強く団結することもよく知られていますので、彼らの観察を現在の中国においてどう理解すべきかは細心の注意が必要です。(ルース・ベネディクトの「菊と刀」で現代の日本人を理解することにも細心の注意が必要なのと同様です。)

 

中国社会の分析にはここでは立ち入りませんが、今、日本(人)も中国(人)も共に国際社会という社会を構成しています。国際社会の構成員(それは国であり、企業やNGOであったり、そして市民個々人でもあります)が「ばらまかれた砂」では困るので、それをどのように結びつけていくかが問われています。

 

チョウ・セイさんの投書の問題から離れてしまいましたが、日本にいる中国人留学生も含めて皆さんが、日本社会のこと、中国社会のことについて理解を深めていただき、国際社会における構成員をどう結びつけていけば良いかについて、良い知恵を積極的に出していただくことをお願いしたいと思います。

 (井出敬二 前在中国日本大使館広報文化センター所長)

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「チャイナネット」2009年2月15日

 

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