松下幸之助と鄧小平の「君子の約束」(4)

japanese.china.org.cn  |  2008-11-06

松下幸之助と鄧小平の「君子の約束」(4)。

タグ:松下幸之助 鄧小平の「君子の約束」 中国

発信時間:2008-11-06 11:37:55 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

松下 「重病にある間、ブラウン管工場が落成して満足しています」

胡錦濤 「松下先生は中国の近代化に重要な貢献をなされました」

写真:1989年11月24日、北京松下カラーブラウン管有限公司が操業を開始した。現場でブラウン管を組み立てる労働者。

松下電器産業は北京にカラーブラウン管工場を設立する準備を始めた。

当時、日本は米国など西側諸国が設置した「対共産圏輸出統制委員会」(ココム)に加盟していた。同委員会は社会主義国への戦略物資や新技術の輸出を規制していたため、工場設立の手続きは極めて困難を極めた。

松下中国公司に長年勤めるある人物によると、そのころ、松下幸之助の決意は非常に固く、当時松下商社の社長だった山下俊彦にこの件を処理するよう何度も言い聞かせたという。

その後の数年、山下俊彦は日本政府や中国政府などの間を奔走した。

1987年、松下電器産業と北京市における中国電子部など関係機関の企業4社が北京松下カラーブラウン管有限公司を合弁で設立した。

その後、松下電器産業は前後して北京をはじめ広東、浙江、江蘇、上海、山東などに投資し、工場や合弁企業を設立した。

松下電器産業関係者によると、当時、重病にあった松下幸之助はずっとブラウン管工場の建設状況に関心を寄せ、同社の幹部が工場竣工の写真を見せると、満面満足の笑みを浮かべたという。

北京松下カラーブラウン管有限公司は二つの記録を残した。第一は、双方の投資額が日本円にして248億円と、当時規模最大の中日合弁企業であったことである。第二は、操業を開始した年に利益を計上し、日本の業界を驚嘆させたことである。ほかの日本企業は次々と同公司に視察に訪れ、松下電器産業に追随して中国に進出するようになった。

90-96年、北京松下の製品売上高は6億5000万元から29億4000万元まで増加。同時に、改革開放が進むに伴って松下電器産業は一時、中国人に最も知られ好まれる「外国ブランド」となった。

08年5月、胡錦涛主席は日本の松下電器産業本社を訪れた際にこう語っている。「今年は中国の改革開放30周年であり、鄧小平が貴社を訪問してから30周年にあたります。まさにこの訪問で、中国と貴社との協力が促され、貴社は中国の近代化建設に最も早く参与した日本企業となりました。貴社の創業者である松下幸之助は中国の近代化建設を支援するために重要な貢献をなされました」

(文中敬称略)

「チャイナネット」2008年11月6日

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