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まほらまの南京生活②―ウェンナン先生行状記
発信時間: 2008-07-14 | チャイナネット

この傾向はオリンピックに限らず、最近のアジア大会や国際大会で中国選手のメダル獲得の傾向に現れている。

2006年、カタール・ドーハで開かれたアジア大会で、中国は金メダル165個で韓国の金メダル58個の3倍近い獲得数でトップとなった。3位日本は50個と中国の3分の1以下しかとれなかった。2年後の北京オリンピックの前哨戦として力が入ったのだろうが、それにしても圧倒的な強さであった。しかし、銀、銅のメダル数が中国は151個、韓国135個、日本148個とほぼ同数となっている。中国の金メダル獲得率は、アテネオリンピックが51%、ドーハアジア大会では52%である。アテネでアメリカやロシアの金メダル獲得率は30%前後であり、ドーハでも韓国が30%、日本は25%となっている。中国の金メダル率が飛びぬけているのに、銀、銅の獲得率が極端に低いのである。

これは何を物語っているのであろうか。学生にも考えてもらおうと思い、担当している大学院生に「中国は国際スポーツ大会でなぜ銀銅が少ないのか」というテーマで小論文を出題した。大学院生は学部生とは異なり、それぞれ過去の成績結果などを分析して研究生に相応しいレポートを書いてきた。

中国はナショナリズム性が強いので、国の代表として金メダルを目指す選手が多く、銀や銅では意味がない、と民族性を理由にするもの。国家の奨励政策としてスポーツ選手を育成しているので、選手も国も金メダルだけを重視している、と国策が原因とするもの。種目が卓球や飛び込み、射撃などに偏っている、とするもの。このほか、開放政策で経済が発展してきたのが要因、とするものなどいろいろあった。どれもが決定的な理由とは思えなかったが、「挙国体制」が原因だとする分析はある程度納得できるものだった。

ソ連は解体するまでは金メダルの獲得率が40%以上で、1972年以降の金メダルは50個、49個、80個で88年のソウルでは55個で世界1位だった。しかしロシアになった96年には26個、シドニーでは32個、アテネでは27個と金獲得率も40%台から20%台になった。東西ドイツも同様で、ソウルでは東ドイツが37個で2位。西ドイツは11個で5位だったが、統一ドイツの92年以降は33個、20個、13個、13個と減少し、金メダル獲得率も40%からシドニーでは27%になった。この結果、金メダルが多いのに銀、銅メダルが少ないのは「挙国体制」によるものだ、との結論であった。

院生全員のレポートの中に、スポーツ競技の「金メダル大国」とともに、国民全体の身体素質を高める「体育大国」とすることも重要だとする主張があったのには安堵する想いだった。

オリンピック選手が北京空港に帰国したとき、金メダルの選手は中央の通路から入り、銀以下の選手は別な脇の通路を通って来た、というのはメディアの勝手な都合だろうが、このような風潮も銀以下の入賞者が極端に少ない遠因になっているのではないかと思う。金と銀や銅の差は100分の1秒や0.01点の僅差である。メダルの色は違っても、実力もほとんど差はない。金は勝者で、銀以下が敗者扱いされるのでは、参加した意義も薄れ、オリンピック精神にも相応しくない。

北京オリンピックで、中国の金メダル獲得数が1位になったとしても、このままの傾向が続けば、中国のメダル数はジリ貧状態になってしまう。北京オリンピック以後もメダル上位獲得を目指すには、銀以下や入賞を逃した選手の数を増やし、4年後の金メダル候補者の裾野を広げる必要がある。

オリンピックは北京大会で終わるわけではない。1964年の東京オリンピック、1988年のソウルオリンピックは、ともに日本、韓国の近代化、国際化に向けてのスタートラインになった。北京オリンピックも中国にとって同様の出発点になると思う。銀、銅が金メダルに比べて極端に少ないアンバランスな不思議を解消して、国際社会での確固たる地盤を築くためにも、「同一個世界、同一個夢想」のスローガンを活かしてほしい。

(写真はすべて南京市内で筆者が撮影)

「北京週報日本語部」より2008年7月14日

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