そのころ、ときどき、夜道を歩かなければならないことがあった。街灯などまったくない闇の世界だ。村人たちはオオカミへの対応策を教えてくれた。オオカミが背後から襲ってくるときは、いきなり前足を人の肩にかけるという。そして、人間が何事かとふり返った瞬間に、ぱくりと、ちょうどいい角度になった人間の咽喉に噛みつく。だから、たとえ突然だれかに後ろから肩をたたかれたと思っても、絶対ふりむいてはいけない。すぐに両手でオオカミの前足をつかみ、頭を下げ、腰を曲げてオオカミを前のほうへ強く投げとばせ、と。
けれども、ぼくは一度もその技を試す機会にめぐまれなかった。怖くて、いつも夜道を歩きながら大声で歌ったり笑ったりしていたので、オオカミのほうが驚いて、後ろから肩をたたくようなまねができなかったのかもしれない。
遠い記憶になりつつあるあの特殊で、激動の時代──中国の文化大革命のさなか、都市部の青年たちが農村の広い大地で遊牧や農耕の生活を体験し、青春の情熱を労働にそそぎ、懸命に生きてきた。ぼくの日本語もそのころから独学ではじめたもので、自転車に乗りながら単語帳をめくって暗記したこともあった。ぼくの教科書といえば『人民中国』で、テープレコーダーも日本の読み物もなかった。ところが、時代も中国もすっかり変わった。関野喜久子さんとともに『狼図騰』の翻訳を終えたとき、隔世の感を禁じえなかった。
いままで、日本の読者は中国の古典に夢中になっても、中国の現代文学に興味を示す人はそう多くなかった。「曠世奇書」(世にたぐいのない奇書)といわれる『神なるオオカミ』は、果たして日本でも「狼煙」を上げられるのだろうか。
「人民中国インターネット版」より2008年9月5日