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改革途上国の中日
発信時間: 2008-11-11 | チャイナネット

 中日両国の間には、矛盾もあれば協調もあり、対立もあれば協力もあると考えています。ただ、全体的に見れば、「改革・開放」30年以来、日本は中国に対してプラスの役割を果たしたと断言できます。

「改革・開放」と『中日平和友好条約』締結と並んで、私はもう一つの「三十年」があると思うのです。それは、鄧小平氏訪日の30周年です。鄧小平訪日の意味は、中国の「改革・開放」と『中日平和友好条約』締結という二つの事件と内在的に関係しています。

加藤 その記念すべき30周年の年に、胡錦濤国家主席の日本訪問が実現しました。胡主席は、7月の洞爺湖サミットも含めれば、今年だけで二回、日本を訪問しました。福田康夫首相も二回中国を訪問しました。「中日首脳の定期的相互訪問」は両国の政治関係を計る物差しでもあります。5月の胡主席訪日時には「第四の共同文書」も発表され、歴史の一ページを積み上げたと言えるのではないでしょうか。

昨今の中国の発展は平和的であり、また日本の戦後の発展は平和的だというコンセンサスの下で、「戦略的互恵関係」を全面的に推し進めていくという両国間の核心的な合意は、両国関係の進歩と言えます。

 「第四の共同文書」の一番重要なポイントは、中日両国が互いに相手を脅威でないと認めたことです。仮に両国が依然として互いに相手を「脅威」だと認識するとすれば、人類にとっての深刻な真の脅威に真剣に取り組めなくなります。

加藤 互いを脅威だと見る時代を乗り越えて、人類共通の脅威に対して、手を組んで取り組もうということですね。1989年から1991年は国際政治が目まぐるしく変化した時期でした。中国でも「政治風波」が起きて、同じ時期に冷戦が崩壊しました。1979年から91年の間、中日両国にとっての共通の脅威は疑いなくソ連であり、91年に冷戦が終結すると、両国は「共通の脅威」を失いました。そうした中で、中日関係にとっての不安要素、たとえば歴史認識問題なども表面化してきました。

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