■南京方言を取り入れた中国語版『父と暮らせば』を高く評価
許金龍氏は、井上氏は日本が戦争の被害者だけでなく、加害者でもあった立場を忘れずに文筆活動をしていることを高く評価している。
「筆致は滑らかで、表現は素朴で飾り気のなく、しかも心を揺さぶる力を有しています。歴史題材に対して、想像力任せではなく、綿密な資料調査に裏付けられた創作が行われています」。
さらに、『父と暮らせば』の中国語版が社会科学院外国文学研究所刊行の『世界文学』誌で掲載された時のエピソードを話してくれた。
「この作品には、広島方言で書かれた台詞もありました。持ち味を出すために、中国語でも、共通語ではなく、方言を取り入れたほうが良いのではという提案が持ち上がりました。その結果、南京出身の女性作家崔蔓莉さんの協力を得て、南京方言を取り入れた翻訳版が出来上がりました。後日、井上氏にそのいきさつを報告すると、『すばらしいアイディアだ』と深く感銘した様子でした」。
■井上ひさしから上海万博への「水の手紙」
『父と暮らせば』を中国語に翻訳した李錦琦氏(写真は李氏が2004年、東北大にある旧仙台医科専門学校の教室を見学した際の記念写真)は、「温厚で、実直な方で、心から尊敬しています」と井上氏の思い出を語り、「先生の死を心から悲しんでいます」と話した。さらに、「社会、歴史、文化から環境まで、関心分野が広く、原爆のことを日本人の被害の歴史としてだけでなく、人類の戒めとしての視点がしっかりと見受けられます。社会責任感と歴史責任感のたいへん強い作家です。言葉遣いはユニークで、表現は分かりやすく、ウィットに富んでいます」と井上文学の魅力を語った。
李さんはまた、井上氏の環境をテーマにした脚本・「水の手紙」も翻訳した。洪水の氾濫から水不足、水質汚濁など様々な国で起きた水の物語を手紙の形で綴られているこの作品は、上海や杭州の大学生たちの主演により、上海万博での上演に向けて準備を進めている最中とのことだ。
なお、井上氏の訃報に接し、井上氏と親交を深めた中国の作家たちは相次いで哀悼の意を表した。
東京とソウルで2回にわたって井上氏と交流し、一緒に井上氏のステージを鑑賞したこともある作家・莫言氏は、「正義感が強く、気骨のある方でした。作品の中で、全人類に共通した話題を深く掘り下げて取り上げていました。尊敬に値する作家です。75歳という年齢は作家としてはまだまだ活躍できる歳であり、たいへん惜しいです。幸い、たくさんの作品を残してくださり、これからは読書の形で偲びたいです」、と井上氏の死を惜んだ。
(取材・文:王小燕 写真提供:許金龍氏、李錦琦氏)
「中国国際放送局 日本語部」より 2010年4月20日