■芝居の演出について
それからまたどうして芝居の演出をすることに?
演劇の写真をずっと撮っていたので、最近(取材日は7月13日)亡くなった劇作家のつかこうへいさんの舞台とか蜷川幸雄さんとか、日本の多くの舞台を撮っていたので、なんかこっちで観られないのは寂しいなみたいな思いはずっとあったんですよ。たまに日本に帰ると歌舞伎を観たいなとか、友達が出てる芝居を観ようかなとかっていうのがあったりとかするので、こっちでもそういうのができればいいなとかって思ってはいたんですけど。
北京に来る前から芝居をつくろうという考えはあったんですか?
なかったです。日本にいたら、やっぱり自分より長けている人がたくさんいるので、「何をいまさらこの歳になって芝居をやるんだ」みたいなことになると思いますし、「何かほかの事で忙しいんじゃないかな」とか「お金もかかるしやめておこうかな」とかって考えてしまいますね。
なので「やってやるぞ」っていうような強い思いがあったわけではなくて、「え、これって…(やれるんじゃない?)」という感じでしたね。だから、ほんとカフェにしても芝居にしても来る前から意気込んでいたわけではなくて、「あら。やっちゃうのかな、おれ」っていうような感じですね。
舞台『青木さん家の奥さん』、六渡さん(右1)
■六渡さんにとっての「北京」
芝居に関する六渡さんのインタビュー記事で次のようなコメントを目にしました。
「海外で日本を表現するとついつい付け焼刃でキモノ、ゲイシャ、フジヤマ…を登場させてしまいがちだが、そうしない。自分がなぜ北京を選んで生活しているのかを考えさせられるような等身大の作品ができうよう努力したい」。
では六渡さんがいま北京で生活する理由は?
日本では感じられない可能性を見出せる場所だからっていうことが大きいですね。日本だと金銭的にコストが高かったり、優秀な人や専門家も周りにたくさんいるので、自分がやらなくても事足りるというか、欲求は満たされるんです。しかし、こっち(中国)だと自分が求めているものっていうのは、自分が作らなければ満たされないじゃないですか。よほど苦労して探すとか日本から取り入れるとか、そういうところなので。カフェにしてもやっぱりもともと好きなコーヒーを自分が飲みたいとか、杏仁豆腐も自分がかつて日本で取材したことがあったようなグルメ雑誌なんかの取材をしていく中で知っている杏仁豆腐をこんなイメージかなって言って作り出したものなんですよ。
だから、やっぱり満たされていないがために、自分で作り出そうという欲求が生まれるわけです。日本ではいろんなことが予定調和になっていて、いろんなことがマニュアル化されているじゃないですか。隙間を探すことすらも難しいというか、それだけ成熟した都市になってると思うんです。だから「そんなお金のかかることやったとしてもそんなもうからないよ」みたいなことを聞いて「ああそうか」で終わっちゃう感じなんです。それが北京だとやってみようと思わせてくれる。失敗してもまあいいかっていうくらいの余裕があるんですよね。まだまだいろんな可能性を感じるというか、自分のやりたいようにいろんなものを探してきて、それは苦労なんですけど、探し出してやりたいことができるっていう気がします。
それに、カメラマンの仕事っていうのはもう大学生の頃からずっとやってるんで、なんだかんだ20年近く、今年でもう21年目ぐらいなんですよ。だから、まあまあぼちぼちやってればいいかなっていうふうに思ってましたし。むしろそうガツガツ仕事をするよりも、自分の作品っていうか自分のものをつくっていきたいっていう考えだったので。もちろん仕事をして食いぶちを稼ぐっていうのは大切なんですけど、ちょっと方向性を変えてものを考えたいっていうこともあって北京に来たっていうのがあります。カフェをつくるっていうふうに面白く転がったなっていう状況ですね。カフェの中で知り合った人たちと話していくうちに、日本にいたら絶対やらないようなこともやってみようかなって思わせてくれたっていうのは、やっぱり北京に来たからだと思います。