先般、中日交流や人材派遣をコーディネートしてかなり実績を上げている友人と雑談していた際、この友人はライフワークとして、中日両国の中小企業のドッキングを模索している、と語っていた。私もかつて仕事で長年日本に滞在していた時に日本の中小企業を取材したことがあり、その技術力のすばらしさには深い感銘を覚えたことがあるが、ジャーナリズムという畑違いの分野に身を置くものとして、「ドッキング」の必要性は感じはしたが、「モチはモチ屋」ということで、それ以上のことを手がける気持ちはならなかった。
中国は歴史的原因や旧ソ連のシステムの導入に力を入れていた時代が長かったこともあって、優良中小企業の成長、発展という面では、かなり遅れていた。
日本の講談社現代新書『世界を制した中小企業(黒崎誠著)』によると、日本には300万以上の企業があるが、『中小企業白書』では、その99%は従業員300人以下の中小企業だ、ということである。もちろん、時代の推移で、こうした数字にも変化があろうと思われるが、それでも大体の状況はほとんど同じだと思う。
日本は現在、円高や雇用不安などでいろいろ困難に直面しているが、こうした中小企業を昇り竜の勢いで伸びる中国の市場と結び付けては、というのがこの熱心な友人の考え方なのだ。
私は、すばらしい話で、うまくいけば君は中国の近代化のために手柄を立てることになるかもしれないなあ、と言い、また知的所有権やセンシティブな技術の流出に異常なほど、神経質な日本側は乗ってこないかもしれないな、とも付け加えておいた。私の印象では、中小企業のオーナーには特にそういう傾向が顕著だ。
しかし、最近は中国も有人宇宙飛行をやってのけ、一部の国から提供することを拒否されてきた技術も、自前でこなせるようになったので、自力で開発することを基礎にして、弾力的に海外との交流を行うようになっており、日本もそれほど神経質になることもないような気がする。日本が出ししぶっているうちに、他国が柔軟に対応して先乗りしているケースもかなりある。
前出の現代新書に掲載されている多くの実例から、かなりのものはそれほどセンシティブではないと思われる。こういう分野で交流をおこなえば、ウィンウィンの関係を構築できるのではないだろうか。
しかし、なかには日本人から見れば、センシティブと思わざるを得ないケースもある。そういうものにはタッチしないようにすれば、なにも日本の「すぐれたもの」が中国に流出してしまうことはないか、という「杞憂」も消え去るに違いない。
例えば、この本に高精度の歯車の話も出てくるが、こういうものは中国は自力で作ればよく、なにも日本人をピリピリさせることはあるまい。
私の持論であるが、人間がつくれるもので中国人につくれないものはないのである。時間と、くり返しテストしてデータを蓄積していけば、月面探査車さえ作れるのだ。某大国の航空機メーカーは、同盟国の日本にさえ、航空機の主翼などを作らせない、ということをある本で読んだことがある。つまり、賢い日本人にその技術を知られればマーケットを失うことを懸念しているのだ。
とくかく、国際技術交流にはこうしたことはつきもので、同盟国だから、友好国だからということで解決されないものなのだ。ましてや、冷戦思考の持ち主たちは、中国に対しては余計神経質になっているのだから・・・・・・。しかし、やがて中国が開発力を身につけた人材を多数擁するようになれば、必死に、神経質になって「死蔵した」技術も「宝の持ち腐れ」になるだけである。
私の友人の構想している中日中小企業の交流が、たとえ1つでもよいから現実となることを願っている。ただし、私はなるべく自主開発の道を歩むことが「王道」だと見ている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年9月21日