写真は71年前の日本軍の「最新漢口市街詳細図」。 |
打扣巷、剪子街、万寿宮……こうした既に存在しない漢口の古い地名が、71年前に日本人が作った「最新漢口市街詳細図」に記されている。漢口に住む黄明忠さんは漢網フォーラムで、日本から買ってきたばかりの古い地図4枚を発表した。これらの地図は抗戦時期に日本の侵略者が日本語で作ったもので、最も貴重なのは武漢陥落後の漢口市街地の詳細図だ。
「昭和14年(1939年)」と記されたこの日本で作られた「最新漢口市街詳細図」は新聞紙ほどの大きさで、現在の地図からは消えた多くの地名や道の名前など、当時の町の様子が詳細に記されている。漢口循礼門駅付近には「日本軍警備司令部」の所在地も記されている。
1950年代生まれの武漢に住むインターネット利用者はコメントの中で「地図の多くの地名は私も聞いたことがない。地図上の多くの町は既に存在せず、漢口の都市の巨大な変化を反映している。武漢市の近現代人文史の研究にとって重要な参考の価値がある」と感嘆の声をあげている。
同フォーラムでは漢口市街図だけでなく「昭和13年(1938年)8月5日大阪新聞社編纂の『漢口戦局全図』」、「昭和14年(1939年)6月28日内閣情報部発行の『支那事変2周年記念興亜現勢図』」、「昭和13年(1938年)1月5日陸軍省新聞班、海軍省海軍軍事普及部が発行した『支那事変戦闘経過要図』」の3枚も発表されている。