平城遷都1300年を機に、多くの人々が奈良県の平城宮跡を訪れている。当時、平城京は世界との接点であった。そして現代の奈良県は、グローバル化の新時代に挑戦している。「歴史の知恵を現代のパワーに転換しよう」と説く荒井正吾・奈良県知事に、奈良と中国の過去と未来やグローバル化について聞いた。
――奈良と中国との交流の歴史は、何を物語っているでしょうか。
鑑真和上が渡来する前から日中間の交流は始まっていて、その舞台は奈良だったのです。3、4世紀の日本にとって中国は、文明の源でした。6世紀ぐらいから日本は、さまざま国の制度を整え始めるのですが、それは中国や朝鮮半島の文化や文明の伝播がなかったらできなかったと思います。
平城京に遷都した直後の717年、阿倍仲麻呂や吉備真備が遣唐使として唐に渡り、それが鑑真和上の渡来に繋がりました。中国の文明の伝播があったからこそ、島国の日本で、国家のあり方や生活の仕方など、さまざまな文明が成熟していったのです。
日本はどういう国かは確かでないにもかかわらず、鑑真和上は遣唐使の話を聞いただけで行ってみようと思われたのです。そうした人と人の信頼関係がもっとも大事だと、私は思うのです。
――奈良と中国との友好交流の現状と将来については?
奈良市は1974年に西安市と、今年の5月には揚州市と友好都市関係を締結しました。また、今年の年末には、奈良県と陝西省が友好関係を結ぶ予定です。また来年は、奈良県と奈良市が共同で、陝西省で開かれる世界園芸博覧会に参加する予定です。
奈良はこれまでの古い付き合いを忘れずに、これからの交流に繋げていきたいと思っています。そうすれば、歴史の知恵を現代のパワーに転化することができるのではないかと思います。