中日友好に不屈の「鑑真精神」を東大寺の坐像が揚州に里帰り

中日友好に不屈の「鑑真精神」を東大寺の坐像が揚州に里帰り。

タグ: 鑑真精神 里帰り 中日友好

発信時間: 2010-12-03 11:44:44 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

鑑真坐像の里帰りは今回が2度目。1度目は今から30年前、中国が改革・開放政策に着手した翌年の1980年、唐招提寺の国宝の坐像が揚州と北京で公開され、約50万人が参観した。今回は東大寺所蔵の重要文化財に指定されている坐像で、上海万博会場の日本館に展示されていた。日本に戻る前に、故郷の揚州に立ち寄った。

坐像は上海博物館が開発した特製のガラスケースに慎重に納められて展示され、初日から長蛇の列ができ、参観者は坐像の前で思い思いに手を合わせていた。

鑑真は唐代の著名な高僧。14歳で出家し、長安(現在の西安)で修行を積み、40年間に渡る授戒、説教を通じ「全国に遍く教え子がいる」と言われるほどの高僧だった。55歳の時、故郷・揚州の大明寺で日本僧の栄叡、普照の招きを受け、日本へ渡る「東渡」を決意した。

仏教が普及し始めていた奈良時代の日本は遣唐使を通じて、仏教界の秩序確立のため、訪日を要請していた。「東渡」は苦難の連続で、5回失敗し、11年後の6回目の挑戦でやっと成功した。鑑真はその時すでに66歳、両眼は失明していたと伝えられている。東大寺大仏殿に戒壇を築き日本仏教に戒律制度を定着させ、唐招提寺の建立にも尽力した。

仏教以外にも薬草、印刷、書道、彫刻など唐の最新文化、技術を日本にもたらした。長い両国交流史には秦代の徐福はじめ伝説的な人物も登場するが、鑑真は不屈の精神力と影響力の大きさから、中日友好の元祖と賞賛されている。

 

人民中国インターネット版 2010年12月1日

 

     1   2   3  


日本人フルタイムスタッフ募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。