日本カメラマンの中国愛と桂林への思い

日本カメラマンの中国愛と桂林への思い。 80歳という年齢を感じさせない元気な稲垣喬方さんは10月、再び広西省桂林市陽朔県葡萄村にやってきた。現地で働く人々を撮影するのは、これで4回目だ。稲垣さんにとって、ここはもっとも中国の少数民族の人々の、ありのままの素朴な生活を垣間見ることのできる場所である…

タグ: 日本 カメラマン 中国愛 桂林 思い

発信時間: 2010-12-29 11:11:28 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国との深い繋がり

自分のスタジオにいる稲垣さん

稲垣さんは子どもの頃に両親と4年間、中国に住んでいた。その頃から、彼は中国に対して忘れられない愛着を抱くようになった。心に刻まれたその想いは時間とともに薄れていくことはなく、まるで醸造されているお酒が日に日に味わいを深めていくように、彼の愛も日増しに強くなっていった。

1955年、市川猿之助歌舞伎一座が訪中公演を行なった時、稲垣さんは舞台美術スタッフとして、再び中国の地を踏むことになった。北京で、中国の周恩来総理と京劇の巨匠梅蘭芳氏に会う機会があり、彼の人生において忘れがたい出来事となった。1956年、梅氏が日本を訪れた際には、二人は再び顔を合わせ、稲垣さんの美しい中国の思い出の1ページとなった。去年の梅蘭芳氏生誕100周年の際には、稲垣さんは中国国際テレビ局とチャイナネットの取材で梅氏との思い出を語っている。

2度目の中国訪問後、稲垣さんは十年一日のごとく、毎日休むことなく日本の新聞に掲載された中国に関する記事を集め始めた。彼はそれを中国と日本の友好の証にしたいと思った。そして、その作業は彼の日々の生活の欠くことのできない一部になったのだ。稲垣さんは「中国の事を気にかけ、中国に想いを巡らせないと、何か物足りなく感じ、1日が終わらないのだよ」という。

去年、稲垣さんは4度目の北京を訪れ、彼が1973年から2009年に渡って集め続けた日本新聞紙の中国に関する記事のスクラップブック計150冊を中国社会科学院日本研究所に贈呈した。

記者が稲垣さんにどうして中国がこんなに好きなのか、中国のどこに惹かれるのかを聞くと、稲垣さんは「理由なんてないよ!とにかく好きなんだ。中国の全てが好きなんだ」と答えた。そして、彼は日本人として、中日友好に自分の力が及ぶ限り貢献したいと話した。

稲垣さんはカメラマンとして、日本を記録し続けるのと同じように中国の姿を取り続ける事こそ、自分ができる最大の貢献になると信じ、桂林と繋がりを持つようになったのである。

素朴な桂林の人々に惹かれて

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