日本のメディアは、菅直人政権が今年3月の予算案の国会審議と4月の全国統一地方選挙の難関を突破するのは難しいと予測している。日本経済新聞が先月内閣改造後に行った民間調査によると、民主党の支持率は25%だった一方、自民党の支持率は28%に達した。一昨年9月の政権交代以来初めて与党の支持率が野党を下回った。
戦後、日本の激しい政局は外国人だけでなく、日本人自身をも困惑させている。就任期間が1年足らずの首相が続き、日本の一般市民も呆れている。日本では不景気が続き、日本の政局は著しく動揺している。政局が安定せず、長期的で持続可能な経済振興計画を打ち出せないため、日本経済はなかなかデフレから抜け出せないでいる。
日本の「失われた20年」はまだ歯止めがかかっていない。これは日本の国民の政治に対する幻滅と関係がある。自民党という「100年の老舗」が追いやられ、政権交代を実現した後、日本の政局は全く新しい局面を迎え、人々の期待は高まった。新与党と新政権は大いに腕をふるい、国民をリードして衰退の影から抜け出し、過去の栄光を再現するはずだった。
しかし、その期待はまるでマッチの火のように、あっという間に消えてしまった。数日も経たないうちに民主党が自民党と本質的にはなんら変わらないことに人々は気づき始めた。実際、小沢一郎のような民主党の大御所は元自民党出身で、個人の目的が達成できず別の党を結成したまでで、自民党と理念的に大して違いがあるわけではない。冷戦終結の際に日本国内では政治改革が叫ばれたが、そのスローガンは20年間叫ばれ、昔と変わらない政界がいまだに続いている。
日本のメディアはこの状況を「政治漂流」と呼んでいる。その場しのぎで根本的には既定の政治方針や路線は変わらない。与党は与党の地位を守ることに、野党は政権交代、つまり与党の地位を奪うことに全精力を注いでいるのだ。
過去半世紀以上を振り返ると、石田茂、池田勇人、田中角栄、大平正芳などは歴史に名を残すといっても過言ではない政治活動家であり、その後の中曽根康弘、宮沢喜一も業績を残した政治家だった。残念なことに、ここ数年駆け足で交代してきた政権は、何か記憶に残る政治業績を残しただろうか?海外のメディアが騒ぐまでもなく、日本のメディア自身がこれらの首相を「粗製乱造」と皮肉っている。日本では何になるにも資格が必要だ。教育に携わる教師にしても、人の命を救う医者にしても、訴訟を手助けする弁護士にしても資格がなければその職に就くことはできないが、唯一、政治家だけはそういった資格制限がなく、だれにでも「政治家」になるチャンスがある。
(上海国際問題研究院情報研究所所長 陳鴻斌)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年2月25日