仙台の地震被災地にて、陳群雄さんは車内でマスク姿の写真を撮影。
「日本僑報」によると、日本の大地震と放射能漏れ発生後、人がみな次々と避難していく中、日本に留学中の陳群雄さんは中国国内の記者数名とともに被災地を取材に訪れた。
3月24日付の湖南省紙「長沙晩報」は、「長沙の青年が日本の被災地でガイド役に」をテーマに、日本で活躍する中国人留学生、日本湖南人会会員の陳群雄さんを大きく取り上げた。
記事は以下の通りである。
3月11日、日本で大地震が発生して、宮城県などは大きな被害を受けた。余震の危険と、放射能漏れがもたらした放射線のため、被災地にいる人々は一刻も早く逃げ出したがっている。しかし瀏陽市出身で東京に留学中の1人の青年が、危険を顧みず被災地に赴き、日本を取材に来た中国の記者のためにガイドと通訳を買って出た。
この勇気ある青年の名は陳群雄さん(25)。昨日、瀏陽市の故郷に帰った彼は、手に汗握る体験を記者に語った。
自ら志願して5人の記者を被災地に案内
陳群雄さんは湖南農業大学外国語学院日本語科を2008年に卒業。同年10月、日本に渡り、東京の青山学院大学国際政治経済修士課程で学ぶ。
思いやりのある陳さんは、勉学の合間によくボランティア活動をしている。週末はほとんど、日本湖南人会が中日交流学習の場として東京の西池袋公園で開く「漢語角(中国語会話サークル)」に行き、日本の友人に中国語を教える。日本湖南人会は日本僑報社内に設けられたもので、会長の段躍中氏は日本僑報社の編集長である。陳群雄さんは段躍中会長や、日本僑報社で働く日本人の岩楯嘉之さんらをよく知っていた。
3月11日に地震が発生して、東京も揺れに見舞われたが、地震に慣れていた陳さんは慌てることなく、まずふるさと瀏陽市の家族に電話して無事を伝え、また東京にいる同胞20人あまりに連絡して全員無事であることを知ると、安心してふだんどおりに勉強とアルバイトを続けた。
3月14日、中国から数人の記者が来て湖南人会にいること、被害の大きかった仙台市を取材に行こうとしていること、記者は日本語が分からないので、ガイドと通訳の適任者を探していることを岩楯嘉之さんから聞いた陳さんは、すぐに段躍中氏と連絡を取り、彼らに同行したいと願い出た。
「ガイドをしたのは、中国からの記者は日本のことをよく知らないので、僕が行けば役に立てるだろうと考えたからです。あのときは危険なんて考えもしませんでした」。昨日、陳群雄さんはインタビューに答えた。
仙台に行く前、故郷の両親に心配をかけないよう、陳群雄さんはこのことを話さず、仙台にいる瀏陽市出身の朱雅琳さんだけにメールで翌日仙台入りすることを伝えた。彼女は山東大学威海分校から仙台市の東北大学に留学している交換留学生である。
朱雅琳さんは仙台市泉中央区在住。山東大学の交換留学生2人と一緒に、ある会社でアルバイトをしている。陳群雄さんが仙台に来ると聞いて、朱さんは驚いた。「私たちは逃げるに逃げられないのに、彼はこっちに駆けつけるだなんて、どうかしてるんじゃないかしら」。朱さんは陳さんに無茶をしないよう言ったが、やんわりと断られた。
被災地入り記者の取材に同行