記者会見で謝罪する東電の清水正孝社長(中)
原発事故の責任を負っている産学官はいずれも有名校出身のエリートたちで、本来なら迅速かつ正確な対応を行わなければならないところだが、現実にはそうはいかなかった。清華大学国際問題研究所の劉江永教授はこうした記者の質問に、日本の「責任恐怖症」について語った。その一方で日本の専門家は、これを日本の「集団主義」の民族的なあらわれだとしている。談話の内容は次の通り。
記者:原発事故の責任を負っている産学官はいずれも有名校出身のエリートたちで、本来なら迅速かつ正確な対応を行い、損失を最低限に抑えなければならないところですが、現実にはそうではありませんでした。こうした現象はどのように説明できますか?
劉江永教授:「日本人は責任を取るのを最も恐れる民族だ」といわれています。その中には最も責任感があるという意味と最も責任感がないという2つの意味があります。前者は、規定や制度に従い、自らに課せられた事は何が何でもやり遂げる点です。その例として、危険を顧みずに「最後まで責任を持って」作業を続けている福島の英雄50人があげられます。
後者は「責任恐怖症」とも言えます。突然襲いかかった地震・津波・原発事故に対応する制度がなく、責任を恐れて誰も政策の制定者になろうとはしませんでした。
日中関係研究所の吉田陽介研究員:ここには日本の「集団主義」の民族性があらわれています。このような「集団主義」には二面性があります。危機を前に、みんなで責任を持って一緒に立ち向おうとする時に、誰も「私が責任を取る」と立ち上がらず、責任を誰も取りたがりません。責任者があいまいなため、政策を打ち出すのが遅れてしまいます。責任への恐怖感は「集団主義」のマイナスの面を反映しています。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月26日