文=コラムニスト・陳言 | 勝又依子(翻訳)
「家を買いましたか?」
「何軒買いましたか?」
私が2003年に中国に戻ってからの数年、しばしば投げかけられた質問である。しかし実際のところ、50代以上、そして北京のような場所ではこの手の質問に答える必要はない。こぞって家を買おうとするのは大抵30前後の若者で、その偏狂的ともいえる熱心さ、着々とターゲットを手中に収めている姿は羨むばかりである。
私にも30前後の頃があった。1980年代の終盤、かのバブル経済が、日本にいた私の肩をかすめて行くのを感じた頃だ。
当時の東京は、すでに贅沢三昧の時代だった。最先端の現代建築に囲まれ、超一流の料理に舌鼓を打ち、いち早く新商品が手に入る場所、そしてそれを支える極めて勤勉なサラリーマンたち――。東京にはそんな世界の“最上級”が集結しており、それに伴うかのように経済も“沸点”に達しようとしていた。
「家を買うべきですよ!世の中何でも作り出せるけれど、土地だけは増やせませんから」
当時30代前半だった渡辺さんは私に言った。
その頃、私の頭の中では家というものは国からあてがわれるものであり、政府の高官などは広いところ、一般市民はそれなりのところ、農民に至っては自分で建てるものだった。そして日本にはこんなにたくさんの埋立地があるのに、渡辺さんはなぜ土地は増やせないなどというのか、とても不思議に思ったものだ。
「ハハハ!わかってないですね、君は。埋立地ができたことで地球の面積は増えましたか?」
彼は私に尋ねた。