今北京の人々が、この20年前の渡辺さんの姿を目にしたとしたら、今後20年の給料を全てつぎ込んで北京の二環の内側にワンルームの部屋を買うと想像したら、どんな言葉が出てくるだろうか?
20年ぶりに渡辺さんと再会した。60代に見えなくもない白髪のその人は今も同じ事務所で働いていた。
「価格は下がり続ける一方だし、ローンの負担も重いので、ふたつとも売却してしまいましたよ」
彼は言った。この20年来、日本のほとんどの場所で不動産価格は下がり続け、ピーク時の約6分の1にまで落ち込んでいる。頭が切れる渡辺さんだから悲惨な状況までには陥らなかったにせよ、不動産投資に失敗したことで、その後の飛躍のチャンスを失ってしまったと言えるだろう。もちろん彼は職を失ってはいないから、まだいい方なのかもしれない。がしかし当初の目標であった弁護士の資格を得るには至らなかった。
「給料が上がらないどころか、ボーナスも減る一方です」
彼は力なく言った。80年代の日本でまだ若かった彼らは、バブル時代の重い負担が足かせとなって、50代になった今も社会を支える人材になりきれていない。社会を新しい発展段階へと導く中堅どころのパワーを思いがけず失った日本、その社会のどんよりとした暗さはそんな彼らの失速と密接に関係しているのではないだろうか。
20年前の東京では、かなりの人が家を買おうとしたため不動産価格の上昇を招いた。一方で賃貸物件の借り手の減少が、所有者のローン返済を困難にした。地球の面積についての見通しは明るかった渡辺さんだったが、この付帯してきた小さな問題について歴史から学べるものはなかったようだ。ハンカチ落としのババをうまくパスできないままゲームが終わってしまい、いま渡辺さんの手の中にハンカチは持っている、ということか。
今回の地震による建物の被害はほとんど見られず、東京は変わらずその現代的な容貌を保っている。依然として一流の味覚を楽しめ、原宿ファッションは目に鮮やかだ。これらとはもう縁がないかのように見える渡辺さんは、すでに手放したその二部屋の20数年ローンを早く完済するために、せめて残業を増やすことはできまいかと考えている。
今の日本で、彼に
「家を買いましたか?」
「何軒買いましたか?」
と尋ねたとすればこれはもう皮肉以外の何物でもない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月4日