私の出会った日本人(2):地震と停電の中での林先生

私の出会った日本人(2):地震と停電の中での林先生。 「毎日大きな船に乗っているような感覚です。その船は時には大きく、時には小さく、ずっと揺れ続けています」
大地震の発生から1カ月経った4月11日、林先生は電話でそう言った。ちょうどその日の午後にもマグニチュード7の地震があり、それは余震とは言われているものの…

タグ: 日本人 地震 停電  記憶

発信時間: 2011-04-18 10:48:22 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

文=コラムニスト・陳言 | 勝又依子(翻訳)

「毎日大きな船に乗っているような感覚です。その船は時には大きく、時には小さく、ずっと揺れ続けています」

大地震の発生から1カ月経った4月11日、林先生は電話でそう言った。ちょうどその日の午後にもマグニチュード7の地震があり、それは余震とは言われているものの、彼にとっては地震と言った方が納得できそうな規模のものだった。中国人の林先生は約20年前から東京に住み、大学で中国語を教えている。

建物が激しく揺れ、家具がガタガタと音を出し始め、自分自身も強い耳鳴りのようなグラつく感覚に襲われた時、林先生はそれが地震なのだと分かった。

いつものようにすぐテレビをつけると、すでに地震の規模がアナウンスされていた。マグニチュード7。他の国では数百人、いや数千人の命までもが一瞬にして奪われてしまうかもしれない数字である。しかし彼が耳にしたのは、自分が実際聞いたか、感じただけか、いずれにせよ地震の“ドーン”という音だけだった。地震に驚いて叫ぶ人の声はまったく聞こえてこなかった。

建物からはすぐに人が出てきた。互いに話すでもなく、それぞれが携帯の画面を見ているかメールを打っているだけだった。先生は外に出ていくのが億劫で、窓からその光景を眺めていたのだ。彼の5階の部屋から見渡す限り、日本の一般的な住宅である2階建ての一軒家は特に損傷を受けた様子はない。程なくして、表に出て携帯をいじっていた人々も建物の中に戻って行った。彼らもきっと先生と同様、テレビをつけ、マグニチュード7という数字といくつかの地名を確認すれば、また淡々と、何事もなかったように過ごすのだ。たった今起きた地震について家族と話すことすらしないかもしれない。

“冷静に、あるいは仕方なく、とも言おうか、自然の脅威をただ黙って受け入れるしかない”その日本的な感覚を、先生もまた自身の経験から身に着けていた。人々は自然や政府に対して恨みごとを言うでもなく、ただひたすら耐え忍ぶ。しかしその声なき忍耐の陰には再起への叫びが潜んでいる。先生はその無言の叫びを、耳でなく肌で感じとっていた。

コラムニスト・陳言 「日本スケッチ」

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