より現実的な問題として先生が向き合わなければならなかったのは、地震そのものよりもその後の停電だった。皆こぞって電池を買いに走り、お店では品切れ・品薄となる。家に電池のストックがあったとしても、売られているのを目にしたら買わずにいられないというような状況だった。
停電すればテレビは見られない。先生はラジオを聞き始めた。夜は枕元に置いた。何度か聞きながら眠りにおちてしまったこともあった。停電が終わって、スイッチを消し忘れていた部屋の照明が突然灯ると、先生は目を覚まし、自分がもう何時間か眠っていたことに気付く。先生のラジオは1時間聞くと自動的にオフになる、タイマー付きのタイプだ。日本では様々なものが周到にデザイン・設計されている。地震や津波、台風や集中豪雨にしばしば襲われる日本だが、普段の生活が便利で快適なのはもちろん、人々は災害時のような非日常であっても尚更、その便利さ快適さを保つために最大限の努力をしている。
中国から日本にやってきた林先生は、今回の大地震という状況下で、初めて2つの国がこんなにも違うものかと、悠久(中国)と刹那(日本)の絶対的な違いに気がついたのだった。そして自分もまた、地震が起きていない時に仕事や暮らしをより充実させるにはどうするべきなのかを考えた。
「停電が終わったので、灯りをつけて学生の提出物に目を通し始めました。その作業をするにはその一つの灯りだけで充分だったので、テレビは消したままにしておきました。とてもはかどりましたよ」
先生はそう言った。
停電に見舞われる以前の日本は、街全体がきらびやかなネオンに彩られ、その光が人の心をも過度に照らし、浮足立たせていた。停電は生活には大きな不便をもたらしたけれども、社会があるべき姿に戻ったのではないか、と先生は考えたのだった。
地震に対する日本人の冷静な対応と、停電という状況下で現れた生活の変化、これらはもう20年あまり日本で暮らす林先生にとって、初めて目にする日本の姿であった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月18日