友人の協力のもと商売を開始
2003年11月、朴さんは再び日本の会社から上海駐在を言い渡された。しかし、琴子さんは、このようにして中国に帰っても親に合わす顔がないと思い、日本で自分の事業を興そうと決心した。琴子さんは旦那さんと形だけの夫婦関係を続けていた。
2004年2月、琴子さんは安徽省合肥市出身の万国軍さんと知り合った。万さんの協力の下、琴子さんは日本人、中国人の友達をたくさん作ることができた。交流を通して、琴子さんは、日本人が非常に友好的で、日中の歴史問題についても非常に誠実だと知った。
生活のため、2004年2月から、琴子さんは中国人の経営するレストランで皿洗いのバイトを始めた。8カ月後、琴子さんは清掃員として別の職場で働いた。それから半年後、万さんの協力により、2人は小さな「東北郷土料理店」を共同で開店した。お客さんの半分以上は中国人だった。苦労を重ねた結果、琴子さんの商売は大きくなり、2006年5月には、琴子さんは、万さんと開いた店の他に、日本料理店を2店舗もつようになった。
結婚の失敗と名誉の損失
2006年7月、琴子さんの事業がうまくいく最中、朴さんが日本に帰国し、琴子さんは朴さんの下へ戻るよう求められた。そこで、琴子さんは離婚を要求した。
2人の関係が悪化すると、朴さんは琴子さんの友達に対し、琴子さんの悪口を言いふらしたり、現地のある組織に頼んで、琴子さんを脅すなどの行為を働いた。琴子さんは警察にそのことを相談したが、「家庭の問題」としてあまり取り合ってくれなかった。また、朴さんは2人の性行為を記録した映像を公開するなどと脅した。朴さんのこのような態度に、琴子さんはひどい恐怖と悲しみを感じたという。
2009年10月、友人の協力の下、琴子さんは弁護士を通して、朴さんと離婚することができた。離婚後、仕返しを心配した琴子さんは日本の財産を整理し、昨年2月、中国に戻った。
このような経歴を振り返って、琴子さんは「むやみに海外に出ようとすると一生をふいにすることになる」と感慨深げに話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月4日