歴史振り返る:日本海軍青島占拠の裏側

歴史振り返る:日本海軍青島占拠の裏側。 多くの日本企業と日本人移住者達がいた青島は、長い間日本軍にとって戦略目標の重点的存在だった。1937年「七七事変(盧溝橋事件)」勃発。7月11日、日本海軍中央部は機密第242号令を発布、青島における海軍の用兵方針を確定し、「青島での事態悪化に備えた兵力」を配備し始めた…

タグ: 歴史 青島 日本 海軍 南京 盧溝橋事件

発信時間: 2011-05-20 11:12:35 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

青島侵略のため、日軍第四艦隊は航空母艦「龍驤」号、巡洋艦「足柄」号、軽巡洋艦「球磨」号、水上機母艦「能登呂」号、特設水上機母艦「衣笠丸」号等60余りの艦艇を動員した。1月7日、日軍艦隊は一斉に青島方向へと移動。1月10日7時52分、日軍第一波部隊は抵抗に遭うことなく、陸上戦部隊は13時45分、全員上陸完了。この間、姜哥庄で哨戒任務に当たっていた2隻の軍艦が8時35分に海岸付近の高台を約10分間砲撃した以外には特に大きな戦闘はなかった。15時30分、青島市政府を占領、18時30分には市内掃討完了、青島を全面的に占拠した。

日本陸軍は青島占拠に対する自身の意図があった。陸上部隊の青島占拠が困難な状況に気付くと、海上からも部隊を派遣、1月11日に青島港入りし、華北方面軍の基地を建設した。また、国崎支隊を1月14日に上陸させ、青島付近での警備任務に当たらせた。交通施設が破壊されていたため、山東内地から青島攻撃に向かう陸軍の動きは遅く、1月19日にようやく青島に到着、そして膠済沿線の警備配置が完了した。

華北植民地の中心をめぐる争い

先に上陸した海軍が青島の重要建築物や施設、埠頭等を占領していたため、辺り一面に「海軍管理」の張り紙が張られ、港湾管理部まで設置されていた。これらの建築物の管理、警備方法について陸海軍の間には激しい摩擦と対立があった。双方とも青島での協議では決着がつかず、1月27日、大本営陸海軍の調整によって、ようやく合意に達した。しかし、青島の第四艦隊と第二軍間の交渉がなかなか進まず、港務、郵務、電務等について、ようやく合意が得られたのは3月26日のことだった。この合意により表面的には問題解決となったが、間もなく陸海軍の華北統治の中心を天津とするか、青島とするかで、双方の対立は再び表面化することとなる。

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