4月16日から23日までの間、笹川日中友好基金の招待を受けた中国の企業家が日本の被災地を訪れ、学校や被災現場、自衛隊やボランティアによる救援・救助活動を視察し、帰国後、そこで見聞きしたことや感じたことを語った。
(1)いつも通り開花した桜
文=磨鉄図書創新空間 王小山総経理
4月23日、東京から北京へ戻り、そのまますぐに友人の誕生日パーティーに参加した。その席で、「一流国家も、今回の地震で二流国家に成り下がったのでは?」という声があったが、私は、もちろんそんなことはない。今でも絶対に一流国家だと答えた。
中国では、日本を賞賛することは危険だが、事実は事実、私が目にしたのは部分的な側面かもしれないが、見てきたことをそのまま話すことしかできない。
▽動じない日本人
家の近くで遊ぶ子供
今回の視察は、笹川日中友好基金の招待を受けてのもので、もともと3月11日より前に、それが決まっていた。しかし地震の影響で半月延期となった。メディア出身の私は急遽、それまでの視察予定の変更を申し出、被災地に向かうことにした。
出発前、家族や友人、そして私自身が最も心配していたのが、地震や津波ではなく、放射能だった。しかし東京に到着後、それは完全に打ち消された。東京の整然とした秩序は、駅近くの音楽隊によるチャリティショーがなければ、日本で一体何が起こったのか全く分からないほどだった。
飛行機が降下する30分ほど前、機体が突然激しく揺れた。上下だけでなく左右にも揺れ動いた。着陸後、迎えに来てくれることになっていた基金の日本人通訳、小林義之氏は、まだ到着ゲートにいなかった。不安そうな私たちを見て、隣の中国人が地震のために成田空港向けの電車がストップしていることを教えてくれた。30分後、ようやく現れた小林氏は申し訳なさそうに、電車が途中で止まってしまい、仕方なくタクシーで2万円かけて駆けつけたのだと話してくれた。
ネット上では「日本はマナーモードに調整済み」でマグニチュード6~7クラスの地震は日常茶飯事だなどという冗談を言う者もいる。だが、私が日本滞在中に感じた地震はたった1回だけだった。ある日の夜中12時ごろ、私は松島にあるバーでネットサーフィンをしていた。すると突然店が揺れだし、窓もガタガタと音を立てたので慌てて畳から飛びあがり、小林氏と林楚方に「はやく、上着を着て!地震だ!」と言った。すると小林氏は、これは地震のうちに入らないと笑った。小林氏に震度と震源を調べてもらうと、震源はまさに宮城県内、震度は4.5だった。
小林氏の落ち着きは、被災地のその他の日本人とほとんど変わらないものだった。
落ち着いた動じなさ、それは日本人が私に与えた最大の印象だった。被災者もボランティアも、その他の一般の人々も、不満こそあるが、大部分の人の生活はいつも通りに進んでいた。
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