尾上縫の最初の資本はどこから来たのだろう?聞くところによると、大手住宅メーカー・大和ハウス工業の創業者である石橋信夫の兄・石橋義一郎が尾上縫をいたく気に入り、彼女の料亭に足繁く通っていたという。来るたびに、数千万~1憶円の現金を彼女に渡していたらしく、石橋氏から得た現金は合わせて35億円と言われている。それを元手に各種コネを駆使し、投機を重ね、最後には個人としては考えられない巨額融資を引き出したのである。
大阪で滞在中、私は事件の舞台となった料亭「恵川」を訪ねてみた。1990年代、あの辺りは雀荘や居酒屋が並び、中には見ただけで売春宿と分かる店がひしめく一帯であった。当時、株や土地の投機で、大企業よりも稼いでいたバブルの申し子の栄華盛衰は、このようないかがわしい界隈が舞台となっていたのだ。
日本のマスコミによると、尾上縫は高齢だが、魅力にあふれていたという。彼女の料亭には、金の硬貨を口にはさんだ陶器置物のヒキガエルが、金運を招く縁起物として飾られていた。噂によると、このヒキガエルが株や土地の上昇相場を言い当て、尾上縫を負け知らずの投資家へ導いたとされている。
だがヒキガエルの神様も尾上縫を永遠の勝ち組に据え置いてはくれなかった。バブルに翳りが見え始め、地価が暴落すると、彼女の負債は増え、証書偽造による詐欺行為まで働くようになった。1991年には詐欺罪で逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けた。20年経った今、彼女の名前を聞くことは無くなり、2兆円をどのように返済するのか取り沙汰されることもなくなった。融資した金融機関のいくつかは経営破綻し、または合併され、当時のことをよく知る人もいなくなってしまった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年6月14日