林国本
私は長年、日本と関連のあるメディアで仕事をしてきた人間であるが、第一線で頑張っていた頃も、第一線から退いてからも「特技」を生かしてマスコミの一角でコミュニケーションの仕事の楽しみを味わい続けているが、その間にいろいろなタイプの日本人スタッフと一緒に仕事をしてきた。一応いくつかのタイプに分けると、最初の段階は、中国の東北地域を含め、戦前から中国で暮らしていた日本人たちで、中国の建設事業に役立てるならと、中国にずっと残って仕事をしていた人たちが多かった。さらには戦後の日中友好活動や日中青年交流に参加したことのある人たちもこの中に含むことになるが、これらの人たちのほとんどは中国の現代史をよく知っている人たちで、私たちは最初から「同志」とみなして仕事をしていた。この人たちの中には、日本にいた頃からジャーナリズムの世界で活躍していた人もいたので、私たちにとっては「師」でもあった。この人たちの多くは中国の土となり、生涯を中国の建設事業にささげ、北京の墓地に永眠している。
その後、私は特派員として日本に派遣されることになったが、その時には北京の本社から日本人スタッフをさがすようにという指示があった。当時、私は中国の対外報道事業のさらなるグレードアップのためには、プロフェッショナルの日本人を選んでみてはと提案し、当時の日本のマスコミ数社の人たちにあたってみて、定年退職したばかりの人をお招きした。その中には、その後十年間も中国にいて、貢献してくれた人もいる。私たちの仕事の特色から日中友好に詳しい日本人スタッフも不可欠だが、プロフェッショナルのスタッフも必要であることが実証された。