「失われた20年」の終結には若者の活躍が不可欠

「失われた20年」の終結には若者の活躍が不可欠。 1960年代半ば、パナソニックを筆頭とする日本の企業は続々と日本独特の企業文化を築き上げた。会社に対する社員の帰属意識や忠誠心、序列性は日本の企業文化の要であった。その序列性が組織の団結力を強めるという点では、日本企業の強みと言えるだろう。だが本当は、社員一人ひとりの「想像力」と「創造力」という二つの能力を抹殺し、若手社員の可能性を妨げているだけではないだろうか…

タグ: 個性 若者 企業文化 年功序列 昇進 創造力

発信時間: 2011-07-17 09:35:08 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

第二に、若者の想像力や創造力を存分に生かしきれないため、日本のIT産業は長く停滞することになる。IT産業は世界の経済を牽引するものである。IT産業は、若い世代が担うものである。若者がどんどん起業し、社会の固定観念を脱ぎ捨てなければ、日本のIT産業は世界に後れを取る一方なのである。

米国および中国の富豪ランキング中、若いIT社長が数多くランクインされているが、日本の富豪ランキングでは、IT社長のランクインはわずかで、年若いIT社長なんてものは皆無である。日本のIT産業が停滞したことが「失われた20年」の大きな原因であったことは事実である。今、IT産業の復活がなければ、「失われた20年」が今後も続くことは間違いない。

第三に、雇用の流動性が低いと、企業に優秀かつ若い人材が集まらず、競争力が低くなっていくのである。日本滞在経験のある人であれば、日本の転職率が非常に低いことに気付いているだろう。日本では人材の流動性があまり受け入れられていないのである。若手社員の流動を各方面から奨励し、若い世代の能力が思う存分に発揮するシステムを築き上げてこそ、企業は人材資源を有効に活用できるのである。それが日本経済の復活への第一歩となるのである。

清朝末期の思想家である梁啓超はその著書「少年中国説」の中で「少年聡ければすなわち国も聡く、少年富めればすなわち国も富めり」と記している。実際のところ、当時の中国だけでなく、今の日本にとっても、日本の将来を担う「聡い少年」が不可欠なのである。「失われた20年」が過ぎた今、これからの20年もしくは30年が明るいか否かは、日本の社会が若い世代の力をどれほど生かせるかにかかっているのだ。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月17日

 

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