テレビナイト・ネットクイーン アナログ放送終了

テレビナイト・ネットクイーン アナログ放送終了。 さて、今回のテーマは、テレビです。ついに!!!昨日24日正午に、日本のテレビのアナログ放送が終了しました。1953年の日本放送協会 (NHK) のテレビ放送開始以来、日本の歴史を作ってきたとも言えるアナログ放送でありました。その社会的存在は、ラジオや新聞といったマスメディアよりもはるかに影響力を持ち、司法立法行政に並ぶ「第四の権力」の中枢に位置するまでの地位にのぼりつめていました…

タグ: NHK アナログ放送 司法 立法 行政

発信時間: 2011-07-26 10:42:05 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「第四の権力」内でのパワーが集中しなくなること、パワーの分散化によって、それが社会に方向付けをできない状況を生み出し、社会に混沌を生み出し、突如として、「第四の権力」にもコントロールをされていない、「悪徳のカリスマ」が登場してしまうことです。これらは、とりわけソーシャルメディア等が担うと考えられるとおもい、僕は「第五の権力」の黎明期である今から起こりうる問題なのだろうと思っています。

「第四の権力」の暴走は多少みられたものの、それでもやはり、民間「企業」であり、責任については、一応は法的に存在しているところでありました。しかし、「第五の権力」は真に「見えざる」権力であります。いわば、一極集中しなければ「権力」でもなんでもなく、単なる個人的意見にすぎないわけですが、なにか間違った仕掛けのもとで「カリスマ」が生まれてしまうと、そこに突如として「権力」が発生してしまうという現象でもあると思います。

言い換えれば、「第五の権力」はもともと存在しないものですが、「第四の権力」内でガバナンスが効かなくなったところで、「第四の権力」の中の混沌から生み出される一極集中ハブのようなものであるでしょう。「混沌の第四の権力」≒「第五の権力の黎明期」

この「第五の権力」は市民への伝播が拘束でありますので、全体主義から生み出されたとも分析される先の第二次大戦よりもさらに恐ろしい何かが生まれてしまうかもしれません。当時はアナログ的全体主義だったものが、デジタル的全体主義が登場してしまうかもしれません。

一方、現在の日本において、これらを国家が規制すれば、「言論の自由」に反しますし、これらを国家機関にしてしまえば、情報イノベーションを阻害し、他国と比較し産業停滞著しくなるでしょう。つまり、現状の「自由」な状態以外の最適な解はないようです。

以上が、「終了」以降の影響を考え、問題提起をするものです。

僕としては、これらへの社会的解決策は、相互ガバナンスなんだろうなぁと考えます。つまり「第五の権力」の中でより競争が活発になるようにして、誤った「カリスマ」が誕生しないように、相互牽制しあうようなものを想定します。具体的には、その「第五の権力内で相互牽制を促進する市民運動」のようなものが発生してきて、初めて「第五」たりうる正式な地位を築くのだろうと思いました。そして、この時に初めて、「混沌の第四の権力」≒「第五の権力の黎明期」ではなく、「第五の権力の発展期」となるのだろうと思います。

・・・と、話がだいぶそれてしまいましたが、アナログ放送の終了は、ひとつの「第四の権力」の「落ち着き・クールダウン」を示す転換点となったとおもいます。暴走する力はしだいに抑えられ、「社会に適正に吸収された権力」となっていくでしょう。

暴走の終焉か、新しい混乱の始まりか・・・、日本の社会の動きに注意であります。中国と日本では官製か民間かの差異は大きいですが、中国にとっても近未来の事象なので、ぜひ「日本の先輩」の変化に注視していただきたいと思います。

(中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月26日

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