見学している劉面換さんと楊秀蓮さん
展示パネルの中には、劉面換さんと南二僕さんの名前も見られた。当時16歳の劉面換さんは監禁状態で40日間、日本兵からの暴行・強姦を受け、歩けないほど痛めつけられたという。劉さんの父親が銀貨と羊を持ってやって来て、娘を返して欲しいと要求したが、日本兵らはそれを突っぱねた。劉さんの父親が「娘は病気なのです」と嘘をつき、「病気が治ったらまた戻しますから」と約束してようやく連れて帰ることを認めてもらった。その後、また連行されることがないように身を隠していた劉さんの家は日本兵らによって焼かれてしまったのである。もう一人の被害者である南さんは、日本兵らの蹂躪が原因とする婦人病に耐えかね、1967年に自絞死している。南さんは死ぬ前に「あの子(養女・楊秀蓮さん)が大人になったら、私のつらい過去のことを全部教えてやって下さい。出来るならば、私の替わりにぬれぎぬを晴らし、かたきを打ってほしい…」と夫に伝えていたという。